日活なら断然松尾嘉代。吉永小百合よりずっと上。お芝居の出来が違う。
1964清順映画1964『肉体の門』1965『春婦伝』1966『河内カルメン』 ‥‥ 野川由美子も悪くはなかったが‥
後にTV「初代 土スペの女王」となる前の彼女が好きだった。
『南部再生』という地域情報誌を20年以上愛読している。
最新号 vol.64 は「まちの本屋」の特集。地べたの本屋のリアル情報が満載で愉しく読んだ。
激減が止まらない「まちの本屋」だが「古本屋」はどんどん増えているという事実。新刊書に比べ利益率が高いこと(新刊書:粗利2割 古本:粗利7割)や、やり方次第で初期投資が抑えられること(域内遊休店舗の安価活用、自分の所有本や友人・知人のからのかき集めなど)から、個人で始める人が増えているようだ。(ちなみに10坪店舗で5000冊、1坪500冊が開店の目安)
大手や資本とは無縁の単独行。まだまだ暗中模索だが、様々な試みが進んでいる。
全国各地に定着した「一箱古本市」(出店料は無料から500円前後が多いとのことだ)
いろんな古本屋が寄り集まって市場に出来た「二号店」(総勢38人が日替わりで店番。ボランティアでもバイトでもなく、売上の2割が店番に入る)
地元密着駅前書店 園田『ダイハン書房本店』で常連客が期間限定で私的なブックフェアを開く「じぶん書店」、蔵書2000冊からスタートして35年、今や在庫3万冊の老舗古書店 武庫川『街の草』の「20円均一箱」(文庫の裸本)などなど。 映画再生のなにがしかの参考になれば‥。
パソコンやスマホの「リコメンド機能」はもはや当たり前になっている。便利だ、有り難いと活用する人もいれば、鬱陶しい、有難迷惑、止めてくれと拒む人もいる。もちろん表示を消すことも可能だが‥面倒だ。
通信、ネットワーク技術の進化でとめどなく情報爆発が進む今、目利きビジネスは時代の趨勢、さらに拡がって行くことだろう。ただし、要注意。
ガイド、アドバイザー、ナビゲーター、案内人、お見立て役、‥‥その道の先達、達人、情報通、指南役、‥‥は昔々から居た。シェルパ、パイロット、コンサルタント、ポン引き、なんてのも。平成バブル以降登場したと思しきソムリエ、コンシェルジュも専門分化が進む。
ハッキリしてるのは、上から目線のお節介では嫌われるということ。知ったかぶりの押し付けでは支持されない。かといって下手に出ても見透かされる。結構厄介な商売なのだ。信頼できる「顔見知り」に薦めてもらうのが一番安全・安心だ。
以前紹介した北海道砂川市 いわた書店の「一万円選書」がヒントになる。(この選書ビジネス、今も大人気のようで何よりだ。)
目利きには、積み上げた経験と絶対的な眼力が必要だ。一朝一夕にはいかない。
ある専門家はいわた書店の優位性を、「〈人間にしか出来ないコミュニケーション〉と〈適度な不一致〉」と解説している。
amazonのレコメンド機能には、この二つが決定的に欠けている。信用も信頼もまだまだだ。
便利かもしれないが、冷たい。顔がない。(もっと言えば、下心ありあり、衣の下から鎧が見える。)
もう一つ。これまでの行動履歴(購入~検索~表示~など)をベースとするため、全く見向きもしなかったものには永遠に出会うことが出来ない。つまり「適度な不一致」はそもそも視界から外されている。便利ではあろうが、はなから視野狭窄に陥っている。
管理人の実感で言うのだが、SNS時代に入って「会ったこともないのに、顔が浮かぶ人」が増えた気がする。短いやり取りを重ねているだけなのに人柄が偲ばれ、深いキャッチボールが出来ている気になってくる。「顔が見える」「顔なじみ」「会わずとも 気脈を通じる」そこには新しい信頼が生まれる。
「便利の陥穽」と「便利の拡張」 も少し 考え続けてみる必要がありそう。
友人の元新聞記者が、数年前Kindleに変えて、身軽になったと喜んでいた。持ち歩く必要がない。家人に鬱陶しがられてきた本棚・蔵書は処分した。
潔いことだ。
スマートフォンやタブレットは、目に向けて光を当てるバックライト方式で、これが「目疲れ」の要因になっている。 一方で、Kindleは、ディスプレイの表面に光を照らすフロントライト方式なので、 光が目に向かっていない分「目疲れ」を軽減してくれると謳っている。その通りなのだろう。
電子書籍化率は急増している。新刊書の35% とりわけコミックや実用書はかなりの確率で電子化されている。紙の低迷を尻目に電子書籍+電子雑誌売上は毎年20%の割合で伸びているようだ。数年前 コミック単行本は電子の売上が紙を超えた。
それでも、本に情報だけを求める人とブツとしての紙の本を求める人、両方いる。管理人は、「紙の本」派だ。触って、匂いを嗅いで、重さを確かめないと気が済まない。栞をはさんだり、ページを繰って、読み戻したり。
ざら紙の漫画雑誌をどきどきしながらめくり、両ページ見開きの大コマの展望に圧倒される快感は、スマホ・タブレットや電子リーダーでは味わえそうにない。よって、残念ながら、デジタル移行は出来そうにない。アナログ人間でおわりそう。
本望である。
出版業界も映画業界も、右肩下がりが数十年も続くのに、いまだに過去の方法論から抜け出せない。環境も技術も何もかも変わってしまっているのに、昔の発想にしがみつく。ベストセラー、ミリオンヒットの味が忘れられない。伊藤さんは語る。
「(本が売れない)出版不況は(実はゲームや読書離れのせいじゃなくて)むしろ書店の現場にあるのではないか。コンピュータシステムの導入によるローコストオペレーションによる人材の切り捨てが今日を招いたのではないか、そして、目先の利益追求に走りすぎた結果ではないのか。本部主導型が増え、支店の自由裁量権を奪ってしまった結果ではないのか。」(補足 太字強調は引用者)
それだけが原因でないことは百も承知の上で、伊藤さんの指摘は明快だ。
すべては「人」と「現場」から始まり、最後はやっぱり「人」と「現場」で決まるという。
本の世界も映画の世界も、現場で人を育てられるかどうかがやはり生命線なのだ。ゆがみとひずみの中での人づくり、やっかいで難しい問題だ。レンジでチンとはいかない。促成栽培では育たない。すぐには身につかない。近道も特効薬もない。時間もお金もたっぷり掛かる。しかし、もはや後戻りはできない。言い訳を連ねていても事態は好転しない。ジリ貧・後退戦が続くばかりだ。弥縫策ではもう持たない。抜本策をやるしかない。その時、要になるのが「人」であり「現場」というわけだ。
ではどうやるか。
もとより、すみっコぐらしのロートルに秘策があるわけではない。
老婆心ながら、アドバイスを少々。
とにかく、自分の足元を見ることだろう。遠くじゃなく身のまわり、近所の現実を、自分の目で見る。肌で感じる。通信・ネットワークの広がりで、昔に比べ、世界は地続きになっている。世界は広くて近い。目を凝らし、耳をそばだたせて、(出来るなら足を運んで)自分の頭で考える。現場の実感を掘ることをお勧めする。幸いなことに、いつの世にも「本好き」は居る。「映画に心惹かれる人」も居る。現場・地元・地域・地方つまりはご近所に立ち返ってみることをお勧めする。地域を知る。顧客を知る。かつての配達・御用聞きもヒントになるかも。
ということで、今日のキイワードは、きん しん かん。
きんは、「近」で「今」で「緊」で「勤」で「欣」で「金」だ
しんは、「新」で「進」で「心」で「芯」で「真」で「信」だ
かんは、「観」で「感」で「汗」で「貫」で「勘」で「環」だ。
なに、意味不明、さっぱりわからんって。あとは各自 胸に手を当てて 勝手にやってくれ。