2ペンスの希望

映画言論活動中です

A movie is ‥‥

ヒッチコックは、映画についての言葉をいくつも残している。

今日はその中から、お気に入りを幾つか。

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映画とは、退屈な部分がカットされた人生である。

A movie is life with the dull parts cut out.

( Drama is  life with the dull bits cut out. )という表記のもある。

 

私にとって、映画とは人生の一片というよりは一切れのケーキ(簡単にできる楽なこと=取るに足らない出来事)なんだよ。

For me, the cinema is not a slice of life, but a piece of cake.

 

長編映画では監督が神、ドキュメンタリー映画では神が監督である。

In feature films the director is God; in documentary films God is the director.

 

 

ホープ 死語

最近読んだ、或る小説にこんなくだりがあった。「若い頃、映画の世界でホープと称され注目されて、‥」 ホープ?  最近とんと聞かなくなった言葉だよな。昔は良く使われながら、最近では誰も口にしなくなった言葉を「死語」ということはロートル管理人も知っている。若い男女をアベックといって笑われたり、「それなんですか?」と真顔で訊かれたこともある。「フル―」「サブ―」と言われたことも。(←これだって十分死語だろう)

この言葉を書いた女流小説家はウイキに拠れば1971年生まれとあったので、そこそこの御歳だ。さして深くは考えることなく使ったのだろう。けど、映画過敏症の管理人は、引っ掛かってしまった。

ホープ」「期待の新人」「ルーキー」映画世界ではどれもご無沙汰の用語だ。

映画界そのものが消失、風前の灯火で、とても「希望」「期待」なんて持てる状況じゃなくなってしまったってことか。隅っこの裏通りでほそぼそと小商いを続ける現状に「ホープ」という言葉は浮かばない。似合わない。麒麟児・有望株・注目株なんてのは、日が当たり勢いのある業界あってこその言葉だろう。そう思ったら、ちょっぴりおセンチになってしまった。何、「おセンチ」が分からないって。こりゃまた失礼いたしましたっ!

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万人の私有 

ここしばらく「詩は万人の私有」というフレーズが頭から離れない。田村隆一の第二詩集『言葉のない世界』【1962 昭森社 刊】の中にあることばだ。

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半世紀以上も前、一人の詩人が東京郊外に出来た新しい遊園地を訪れ、よほど激越したのか、一篇の詩を書いた。

 

西武園所感 ある日ぼくは多摩湖の遊園地に行った

君がもし
詩を書きたいなら ペンキ塗りの西武園をたたきつぶしてから書きたまえ
詩で 家を建てようと思うな 子供に玩具を買ってやろうと思うな 血統書づきのライカ犬を飼おうと思うな 諸国の人心にやすらぎをあたえようと思うな 詩で人間造りができると思うな
詩で 独占と戦おうと思うな
詩が防衛の手段であると思うな
が攻撃の武器であると思うな
なぜなら
詩は万人の私有
詩は万人の血と汗のもの 個人の血のリズム
万人が個人の労働で実現しようとしているもの
詩は十月の午後
詩は一本の草 一つの石
詩は家
詩は子供の玩具
詩は 表現を変えるなら 人間の魂 名づけがたい物質 必敗の歴史なのだ
いかなる条件
いかなる時と場合といえども
詩は手段とはならぬ
君 間違えるな   【一連 省略 二連を全文引用 太字強調は原文のまま】

 

詩は「何ものでもなく、同時に何ものでもあり」さらに、「万人が(それぞれに)私有するもの」なのだとする田村の主張はやわじゃない。その憤怒は揺るぎない。今も 胸を打つ。

「詩」を「映画」に置き換えて噛み締めてみたくなる。

詩集の最後に置かれた詩「言葉のない世界」最終の二行はこうだ。

 

ウイスキーを水でわるように

言葉を意味でわるわけにはいかない  【太字強調は 引用者】

 

生産者 主 消費者 従 ? 対等 ?

昨日書いたサブスク配信のプラットフォーム『アジアンドキュメンタリーズ』(月額990円でアジア各国のドキュメンタリー映画見放題)代表 伴野智さんのインタビューが気になった。【「未知なる世界を日本へ」月刊雑誌『シナリオ』2021年7月号 日本シナリオ作家協会 発行 より引用】

 

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彼は、「早回し視聴は駄目で、一時停止はいい」と発言していた。

早回し視聴は「あらすじを知るだけ」で監督の意図・演出という大事なところが見えていない。作品はただただ消費されるだけなので 駄目。

一時停止は いい。わからないことは一時停止して調べればいい。調べて わかって観るのとわからないまま観るのとでは印象も違うから。じっくりと1本の作品を楽しんでもらうには、1回だけ見るんじゃなくて、わからなかったところは調べて、2回、3回と見るのがいい。

う~ん、何だかなぁ。どこかすれ違っていて噛み合っていない気もする。

作り手だって、作っている最中は、早回ししたり一時停止したりを繰り返す。ためつすがめつ、ああでもないこうでもない、と編集点・構成のディテールを練りに練り、どうすれば分かりやすく、誤解なく齟齬なく受け手に伝わるかに腐心する。ともすれば逆に謎を仕掛けたりもする。その成果物を、お金と時間を払っている受け手がどう見ようと勝手だろう。制作ディレクターやプロデューサーをやってきた伴野さんならわかる筈。

「時間がもったいないので早回しで手っ取り早く中味を知りたい」消費者サイドと、「じっくり時間をかけて何度も味わって欲しい」生産者サイドのせめぎ合い。う~~ん。作り手の我が儘と受け手の我が儘のぶつかり合いは、未来永劫、永遠の課題だ。主従、上下、前後、を超えて、どこまでも対等な討議・解法のステージを期待する。(伝わりにくい生硬論議でゴメンナサイ)

【この項さらに続く】

主導権 遷移

 映画に限らず、あらゆる表現物の主導権は、作り手から受け手に移ってしまったようだ。かつての映画は、情報誌をたよりにマーキングして、映画館に出掛けて行かなければ見られなかった。上映時間に合わせて駆けつけて身をゆだね、全くの受け身で体感・享受するしかなかった。今の若い衆には嘘みたいな昔話だろう。

配信サブスクで選び放題・見放題。細切れ視聴もながら視聴もお気に召すまま。どうぞご随意に、早送り、巻き戻し、一時停止、繰り返し、やりたい放題。

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そんな時代がもうずっと前から始まっている。受け手は神様、ってか。

作り手にとっては、とってもキツイ話だ。

数年まえにこんなブログ記事を書いた。

作者≦観客 - 2ペンスの希望

時間が赦すなら、全文読んでもらいたいところだが、かいつまんで言うと

 作り手(作家・監督)の時代から、受け手(観客・読者)の時代へ。「作り易くなったけれど 作り難くなった」という閉塞感・袋小路化の中で作家たちは逼塞・立ち往生してる一方、観客たちはますます自由で元気になりつつある。

作り手(書き手)の精進・努力より、受け手の力能・感受(受感)こそが重大に問われる時代に入って来たんじゃなかろうか。

 その前には、こんなのも書いている。

需要あればこその - 2ペンスの希望

需要なき複合多機能化の時代。
二十世紀=分業の世紀から二十一世紀=統合の時代へ。
価格の低下・低位安定だけが実現し、需要なき自主制作「作品」があふれ、品質の不安定ばかりが進む。

 シンドイ時代が始まっている。

 

インターネットで『アジアンドキュメンタリーズ』という配信プラットフォームを手掛ける伴野 智は或るインタビューでこう答えている。

Q:配信のデメリットは感じますか?

伴野:デメリットは早回しで見る人が増えたことです。早回しで見るのは、僕らからしたらありえない。

Q:ドキュメンタリーに限らず、ドラマでも映画でも早回しで観る人がいると聞きます。「時間もったいないから内容だけ知りたい」ということなんでしょうね。

伴野:それは単に「あらすじを知るだけ」ということですよね。作品がただただ消費されている。演出もなにもあったもんじゃない。特にドキュメンタリーはずっとカメラを回して定点で見せて、そこに監督の意図があったりするので。早回しだと大事なところが見えていないということになるわけです。そういうことが起こってしまうのは非常に残念だと感じています。

東日本大震災のボランティアをきっかけに東北に移り住み映画を撮る小森はるか監督はこう発言している。

小森:一人でとか、ネットでどこでもという形で観てほしいとはあまり思わないんですよね。映画館でも集会所でもいいんですけど、誰かと一緒に最初から最後まで観てもらうのが理想です。『息の跡』はDVDにしていただきましたが、その際にネット上でも配信するか検討し、自分はなかなか踏み切れないところがありました。その違いを明確には説明できないんですけど。

【両インタビューともに 月刊雑誌『シナリオ』2021年7月号 日本シナリオ作家協会 発行 より引用】

 

生々流転、有為転変は世の習い‥どこまで続くぬかるみぞ。

けど、泣き言は言うまい。突破口を拓くしかない。

【この項 続く】

 

 

 

本『軌道 福知山脱線事故 JR西日本を変えた闘い』

すすめられて、松本創さんの本『軌道 福知山脱線事故 JR西日本を変えた闘い』を読んだ。(のっけから脱線余談だが、本はヒトにすすめるのもすすめられるのも難しい。人となり・性癖が滲み、恥部・陰部につながりかねないところがあるからだ。要注意事項。)

2005年4月25日死者107人負傷者562人を出した鉄道事故をとりあげた本だ。【2018.4.6 東洋経済新報社 刊】

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「妻と妹を失った遺族でまちづくりプランナー」の淺野弥三一さんを軸に「JR西日本の技術屋社長」山崎正夫元社長国鉄民営化の改革を担い、JR西日本天皇といわれた」井手正敬元会長らを取材したノンフィクション。

手間暇かけた丁寧な取材が、通り一遍の社会派構図を超えた厚みを加えている。そう読んだ。「個と組織」「プロの条件」「現実とどう折り合うか」など色々考えた。尼崎、神戸、阪神淡路大震災、‥‥管理人の生きた時代と場所に重なる親近感もあるが、多少なりと巨大組織と関わって仕事をしてきた経験を持つ身には、他人事で済ませられない切実さが迫る。おすすめだ。

管理人が読んだのは単行本(東洋経済新報社)だが文庫本(新潮文庫)も出ている。

「個」として向き合いながら、「個」に返さない生き方。

 

今は昔:真理明美

デビュー作は1964渋谷実『モンローのような女』。昔々、松竹が和製モンローとして売り出そうとした。が、路線を間違えたようだ。管理人にとっては何と言っても『男の顔は履歴書』の李恵春。チマチョゴリ姿が眩しかった。相手役は、伊丹一三(後の十三)。眼の力。

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プライベートでは、須川栄三監督夫人でもあった。