2ペンスの希望

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岩井克人:映画好きの経済学者

 同じくインタビュー本『自由の限界 世界の知性21人が問う国家と民主主義 』には経済学者岩井克人さんのこんな言葉も載っていた。

映画好きです。良い作品は解かなければならない問題を解く。学問と同じです。小津安二郎は倫理的に生きるとは何かを問い、映像を通じて解を出した。世界最高の監督です。この間、黒沢明の『天国と地獄』を見直しました。大掛かりになり過ぎた後期の作品以外はやはり最高峰です(太字強調は引用者)

この年代には映画好きの御仁が多い。さてはて、イマドキの若い人文社会科学系の先生方はどうだろうか?

ジジェク:映画好きの哲学者

ちょっとした成り行きで、読売新聞編集委員 鶴原徹也のインタビュー本『自由の限界 世界の知性21人が問う国家と民主主義 』【2021.1.10 中公新書ラクレ】を読んだ。本筋とは全く関係なしだが、映画好きで知られるスロベニア精神分析学・哲学者 スラヴォイ・ジジェクがこんな言葉を言っている。

溝口健二監督の『山椒大夫』は不朽の名画だ。洗練された演出、役者の顔の大写しを避ける撮影技術、あれは日本人の礼儀正しさだろう。日本的な礼儀正しい無関心は、異なる文化、宗教の移民と付き合う良策かもしれない。

 

そういえば、こんな映画もあったな。2006年製作 2010年日本公開『スラヴォイ・ジジェクによる倒錯的映画ガイド : The Pervert's Guide to Cinema』予告編を貼る。

www.youtube.com1931~2005年までの映画40本余りを精神分析学的に解説している。

2012年には続編?『スラヴォイ・ジジェクによる倒錯的イデオロギーガイド : The Pervert's Guide to Ideology 』も作られている。

www.youtube.com

拙管理人とはほぼ同世代、ゆえにだろうか東西 洋の違いはあれど映画への接し方向き合い方に共通するものを感じる。クライテリオンにはこんなのもあった。

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地方ローカルの映画館:豊劇

経営不振に陥った地方の映画館が2022年8月またひとつ「休館」する。但馬地方唯一の映画館「豊岡劇場」

ウイキペディアにはこうある。

1927年芝居小屋として開業、戦後映画館として2スクリーンを運営してきたが2012年3月に一度「閉館」した。その後2014年7月、有志による「豊劇新生プロジェクト」が立ち上げられ、クラウトファンディング(110人から約271万円)や国の補助金などを利用してデジタル映写機を導入するなどして2014年12月「復活」して8年目。

往年の映画館の佇まいは、懐かしい匂い。建物が古くて暖房が効きづらいせいかコタツ席もある ↓

地元で不動産業を営む石橋秀彦さんらが「経営」してきたが、積年の赤字が堪えたようだ。

再開後の7年間、一度も黒字経営になったことはなかった。年間900万円の赤字を垂れ流す状態。見積もりでは、年間2万3000人の入場がないと収支がとんとんにはならない。復活当初5000~6000人だった入場者数は2019年には何とか1万7000人を超えるまで伸ばしていたが、そこにコロナ禍。緊急事態宣言で休業、再開後は年間8300人と半分にまで落ちてしまった。キネマ旬報Web.記事その他から無断引用。一部編集】

2022年3月1日付 石橋代表のお知らせがコレ ⇒

toyogeki.jp

誠実で身につまされる。

2019年豊岡市に移住した劇作家・演出家の平田オリザはこう語っている。「民間での単独経営は難しい、かといって行政主導になると制約も増える。うまく公的資金を入れながら民間の自由さを保つかが大切。再生のための休館であってほしい。」【ラジオ関西 番組『平田オリザの舞台は但馬』】

NPO法人の立上げ」による「経営母体」の引継ぎ‥‥、黒字経営、運営の健全化に至るまでの道のりはきっと平坦ではないことだろう。今の石橋秀彦代表は1962生まれの60歳、お知らせ末尾に現場責任者とある伊木翔さんは1987年生まれ。まだまだ若い。首尾よく上手い形でバトンがつながることを是非とも期待する。

6人の映画監督が‥‥

何やかや騒がしい映画界だが、キネマ旬報Web で「6人の映画監督が語る「持続可能な映画界を目指して、の第一歩」という座談記事を読んだ。悪い人たちでない。海外経験 豊富な良識派であることも承知する。「日本版CNCは可能か」と題した座談だ。フランス政府の「CNC:Centre national du cinéma et de l’image animée=国立映画・映像センター」(1964発足)や、韓国の「KOFIC:Korean Film Council=韓国映画振興委員会」(1973発足)をモデルに日本での導入を目指しているようだ。

ご興味の向きは、コチラ (期間限定だが全文が読める。末尾には有意な資料データも付いている)

6人の監督が語る「持続可能な映画界を目指して、の第一歩」 │ 【公式】「キネマ旬報」ホームページ / キネマ旬報WEB

一番の年長さん 諏訪敦彦はこう発言している。

日本版CNCで目指すべき内容は、大きく分けると4つあります。労働環境の改善と未来の観客と映画人材の育成、さらにはSTCや「ミニシアター・エイド基金」で行ってきた配給や上映に関わる流通に対する支援、そして作り手に対する支援。メジャーもインディペンデントも区別なく、業界全体が持続可能な仕組みを作ると同時に、文化芸術の多様性も守っていく。

「労働環境改善」「未来の観客と映画人材の育成」「流通支援」「作り手支援」

どれも重要課題であることに異論はない。ただ、正直、総花的網羅的だとも感じてしまった。遅かりし由良助にならなければいいけど‥。

沈みゆくマグロ漁船に自ら志願して乗った」と語る西川美和、「「自分たちの世代は勝ち逃げできた」「セーフ! 俺たちは何とか逃げ切った」と考える人たちがトップにいて危機感が業界全体に共有されず先に進めない」と嘆く是枝裕和

いっとくけど、水を差すつもりなんて毛頭ない。少しでも上手く賢く立ち回って、一歩でも半歩でも成果をあげて次世代にバトンをつないでほしいと心底 願う。ただ、「(文化芸術の)多様性」だとか「持続可能」なんて時流に乗っかったイマドキの言葉を使うより、もっと根本的な「資本と労働 或いは 賃労働と資本 ©カール・マルクス 」とか「道と経済の合一 ©鈴木清一 」といったレベルで論議すべきじゃなかろうか、なんて思ってしまった。ゴメンナサイ  m(_ _)m

公的扶助、助成、制度設計、‥‥イケナイとはいわないけど、もっと我が身と足元を見てみたら‥‥「マーケットが逼迫して危機がくると初めてノウハウが出てくる」なんて上野千鶴子センセの言葉もあることだし。

「歌を難しくしない人」

中部博さんの『プカプカ 西岡恭蔵伝』【2021.11.9. 小学館 刊】を読んだ。

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九年かけて縁者・関係者に丹念に取材した労作だ。西岡恭蔵さんは管理人と同世代に関西を生きたシンガーソングライターなので、時代の空気や思いが かぶる。懐かしい名前が幾つも出てきて 沁みる。中でひとつだけ。書き遺しておく。恭蔵さんとは親子ほど歳の離れた後輩シンガーソングライター松永希さんの言葉「恭蔵さんは、歌を難しくしない人でした。(太字強調は引用者。元の文では、傍点強調)

技術や時代が進むと、音楽に限らずあらゆる表現世界は高度になり細分化する。ときに理屈っぽくなったり、小難しくなったりもする。健康的でおおらかなのが一番だとよく分かっていた人だったのだろう。難しくしないで長く続けることは、実は容易いことじゃない。胆力とエネルギーが要る。映画だって同じこと。映画を難しくしない人が昔のようにたくさん増えていけば有り難いのだが‥。

「いる」「ある」

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『ソトコト』という雑誌のオンラインサイトで、歳若い映画人のインタビュー記事を読んだ。出色!オススメ!!

sotokoto-online.jp

人はないものに憧れる。けど、ないものでは作れない。あるもので作るしかない。ただ、それに気づくのは難しい。さらに、それが断念や残念ではないこと、それこそが確かな出発点であり、そこから遠く深く豊かな地点まで精進を重ねることはさらにさらにたやすいことではない。近道も抜け道もない。本文インタビュー記事中、実験映画作家小池照男さんの言葉にこうある。

突き詰めなければ、人を感動させるものにはならない

突き詰めれば伝わる。突き詰めなければ伝わらない。

健闘を祈る。

 

スジ ヌケ ドウサ の三つ巴

マキノ省三の「一スジ 二ヌケ 三ドウサ 」という言葉はあまりにも有名だ。

ウイキペディアにも、

「スジはシナリオのこと、ヌケは撮影・現像の技術のこと、ドウサは俳優の演技のことである。」と載っている。

当ブログでも何度か触れてきた。

管理人の理解を改めて言うなら、この三つ 重要度の序列=優先順位などではなく、単に順序に並べただけで、マキノ先生が言いたかったことは、三つとも揃わないと映画は出来ないよ、ということ。スジ・ヌケ・ドウサの三位一体、いずれもが必要条件どれが欠けてもダメという主張。そう理解する。

映画はこの三つの「三つ巴」

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だからこそ、三ドウサも先の二つと同様に最重要なのだ。

映画監督の仕事は、シナリオを柱に、演者の体に隠された能力・ポテンシャルを引きだし、重みや厚みや弾力を持つ生身の「役」としてのリアリティを賦課する(付加する 負荷する 孵化する 富化する‥)こと。

人物の動かし方、位置関係、目線のやりとり、その上下、衣装 一式(頭のてっぺんから足元履物 装身具迄)、小道具 持ち道具、画面構成(アングル サイズ レンズ)、編集のリズム(「シーンからシーンへの推移の呼吸」©寺田寅彦)、カットの長さ、シーンの前後 入替え、音楽・効果音の使い方 などなど‥‥やることは大小さまざま、果てしなく無数。