2ペンスの希望

映画言論活動中です

正統と異端 忠男と重臣

今日、映画界は正統が総崩れの観があり、さまざまな異端やはぐれ者が流行して異端が異端でなくなってしまっている。」最近の発言じゃない。三十数年前に亡くなった佐藤重臣さんを偲んで佐藤忠男が書いた追悼文の一節だ。重臣さんはその昔『映画評論』という雑誌の編集長を務め、その後はアングラ映画の配給や上映で食った映画評論家だ。佐藤忠男さんが遺した百二十冊の著作に較べ、重臣さんの生前著作は新書判の『阪妻の世界』一冊だけという寂しさ。忘れ去られた知られざる映画人の一人だ。金井勝監督の映画『無人列島』『Good-bye』『王国』若松プロの映画など何本もの映画にも出ている。

ラーメン屋の親父を演じる佐藤重臣

 

どこかに動画がアップロードされていないかとググってみたら、こんなページを見つけた。


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全面是正 妄言多謝 (饅頭本)

少し前に「饅頭映画?」と題して「饅頭本」について書いた。やらかしちまった。失礼しました!!ここに全面是正します。

饅頭本は、「やたら豪華なつくりの記念本。盛られた上げ底 ヨイショ本。‥‥。あまり歓迎されない代物のようだ。非売品。売らない。というより、売れない。」と書いて、貶めた。早とちりの大間違いだった。

出久根達郎さんの本『万骨伝  饅頭本で読むあの人この人 【2015.9.10. ちくま文庫オリジナル】

を読んで間違いに気づいた。つつしんで訂正します。

出久根本 「まえがき」は、こう始まる。

饅頭本」とは、古書業界用語の一つで、追悼集のことである。饅頭代わりに、故人を追慕する文集を作り、一周忌や三周忌に縁者に配ったので、これを饅頭本と称したわけである。意外な有名人が追悼文を寄せていて、それらは全集に収められていない。きわめてプライベートな文章だからである。一般人に読ませるつもりで書いた文章でないだけに、真情あふるる名文が多い、それに限られた部数で、ごく一部の人に配られた私家本であるから、当局の検閲が行われていない。饅頭本には掘出し物が多い、と古書界では定評があった。おいしいのである。ぎっしりと漉餡が詰まっていて、味もよかった。(一部引用者が勝手に組み替え)

本文中にはこんなくだりもある。

饅頭本という俗称は、蔑称ではない。定価はないが、「おいしい」本の意がある。古本の、いわゆる掘り出し物は、このジャンルに多い。一部の人しか知らない本だからである。いつの間には作られ、然るべき人の目に止まり、そして忘れられていく。部数もせいぜい百か二百部である。

饅頭本には意外な筆者が意外な文章をつづっていることがある。その文章は、全集に未収録だったりする。研究者にとって、掘り出しの一冊ということになる。饅頭本は、ごくわずかしか作られず、特定の人にしか配られない。特定の人は、よほどのことがない限り手放さない。稀覯本になる。

饅頭本は捨てたもんじゃないようだ。なのに、拙速主義で嘘八百を並べてしまった。

猛省。妄言多謝。

けど、「饅頭映画?」は撤回しないョ。

だって、犬も食わない内輪映画=饅頭映画はチラホラ見かける。仲間内だけでイチビッテル祝詞映画・提灯映画・ご祝儀映画はホントにあるんだもん。国家的規模の大プロジェクト[無観客]映画なんてのも ‥‥‥サ。「おいしいものには毒が混じってる」ってこともあるし......ナ。

クロサワ映画

クロサワ映画と聞けば、皆さん 今 何を思い浮かべるのだろう。

コッポラやスピルバーグ、ルーカスなどが称賛する黒澤明監督映画だろうか。

或いは、蓮實チルドレン=ホラーの黒沢清監督映画だろうか。

いえいえそれだけじゃない。

「文字通りの『クロサワ映画』なんてのもあるよ」と先日 ご親切な御仁から教えられた。と、ここでいつもなら、くだんの映画のポスターなどの紹介画像を添えるところなんだが‥‥なんだかなぁ。(勝手にググって頂戴

映画も観ちゃい(られ)ないので、これ以上のコメントも無し だ。いかにも吉本興業とフジテレビのタッグ「らしい」振る舞い・イチビリ・軽チャー種族まるだしの仕草に感心?寒心! 関心ゼロ。

これから まだまだ もっともっと つぎつぎ 「クロサワ映画」が生まれてくるんだろうナ。

遣る瀬無い ケド 嘆くまい 嘆くまい。

「誰だ それ」時代

若い衆と話していると知らない映画監督の名前が頻出する。一方で、オーソン・ウェルズ、とか、ジャン・ルノアールと言っても分からない。映画好きという人でも同じようなもの。コッポラ、ルーカスだって知らない。「誰だ、それ」と言われてしまうのがオチだ。

歴史が堆積すれば過去はつぎつぎに忘れ去られていく。これは世の習いだろう。

映画の「誰だそれ」時代は、かなり前から始まっている。とりわけ「時代の産物」「興行的価値重視」でやってきた映画では、新陳代謝が激しい。栄枯盛衰が早い。

ちょっと前に読んだ長嶋有さんの本にこんな一節が出てきた。「〝すごい〟という誉め言葉は危うい。〝すごい〟はすぐ次のものに更新される。案外 未来には残らない。」うろおぼえだが、そんな趣旨だった。

昔々、「たそがれ」や「かはたれ」時という言葉があった。薄暗くて明暗がはっきりせず、彼が誰なのか訊ねなければ判らない時刻をあらわす。

「誰そ彼」「黄昏」は夕方・薄暮に使い、「彼は誰」は早朝・黎明に使われる。

さてはて、映画の「誰だそれ」時代。薄暮なのだろうか、黎明なのだろうか。待つのは暗夜か、新しい夜明けか。

【言い訳:いやはや何とも、失敬。「誰そ彼⇒彼は誰」以前にも書いていた。でもまあいいか。いい加減だが、放置しておく。】

饅頭映画?

古本屋さんの世界には、「饅頭本:まんじゅうぼん」というのがあるそうだ。

かつて 葬式や祝い事などの席で配られるまんじゅう(葬式饅頭・紅白饅頭)にちなんで、「売るためではなく、故人の追悼や何かの記念のために作られた本」のことだ。

やたら豪華なつくりの記念本。盛られた上げ底 ヨイショ本。‥‥。あまり歓迎されない代物のようだ。非売品。売らない。というより、売れない。

映画の世界にもありそうな話だ。無料で配られても見たくない、見られない「祝詞映画」「提灯映画」(© 長嶋有)のたぐいが‥つまりは、はた迷惑な「饅頭映画」のたぐいが

そう思ってたら、こんな本物の饅頭を見つけた。商魂? あまり品の良い洒落とは思えないが…

 

岡村淳『忘れられない日本人移民』

暑さにかまけて、映画は見ないで映画にまつわる本ばかり読んでいる。なかでとても豊かな本に出合った。

岡本淳さんの『忘れられない日本人移民 ブラジルへ渡った記録映像作家の旅 【2013.4.25. 港の人 刊】

カンのいい人ならピンと来るかも知れない。そう あの宮本常一の『忘れられた日本人』を意識したタイトルだ。

筆者の岡村さんは、ドキュメンタリーの世界では知られた御仁。管理人も何本か見てきた。テレビドキュメンタリー番組でキャリアをスタートし、その後 縁あってブラジルに移住、「異国で暮らす一匹狼、いやさ一匹カピパラ(本人自称)として 単独行=ひとり取材で記録映画を作り続けている。自主制作・自主上映一気通貫。管理人は〈テレビ業界から一番遠くに生きる映画巡礼者のおひとり〉と見立てているが、一回り下の世代ながら映像業界周辺で生きてきた者として、身につまされながら、読んだ。風まかせ! 本には、ブラジルで人生で出会った忘れらえない人びとが何人も登場する。みなふくよかでチャーミング。

市井の人・無名の人の奥深さ・奥床しさがあちこちから立ち上がってくる。誰かが記録し、誰かが遺さなければ、残らない。そんな小さなエピソードが続く中、終盤近くにこんな一節があった。

地上のいたるところに監視カメラが設置されて、携帯電話に付いているカメラでの無自覚な撮影が跋扈する時代になってしまったからこそ、あえて撮影しないという選択を大切にすることにしました。忘れたくない言葉だ。とはいえ、「 無自覚な撮影が跋扈する時代」を乗り越えてしか、新しい映画の時代は拓けないのかもしれない。

謹呈署名代 百壱萬圓也

相変わらず次々に新刊が出る小津本だが、「生前OZUがまだ〈神様〉になる前」(©中山信如さん:稲垣書店)に出た一冊に『お茶漬の味 他』がある。

野田高梧との共著。1952(S27)年 青山書院刊B6 362頁の自装本だ。

『晩春』『麦秋』『お茶漬の味』などのシナリオが載る。小津映画のタイトルをほうふつさせる小津好みの装幀が味だが、珍本というほどでもない。

石神井書林内堀弘さんの本『古本の時間【2013.9.10. 晶文社 刊】にはこうある。

古書相場は八千円ぐらい(引用者 註:20年ほど前の記述。今の古書相場はニ三千円に下落しているようだが‥)とあるし、五冊見れば一冊には毛筆署名があるほど署名本も多い。(引用者 註:あまり売れなかったのか、自身の趣味で出版したかったからだろうか‥)ちなみに、ただの署名入は稲垣書店(引用者 註:前出 中山信如さんの東京三河島にある映画関連専門古書店で現在四万円だそうだ。しかし小津が原節子に献じた自著となれば世の中にこの一冊しかない。中山さん自身も「すなわち天下一本。絶対に売らない」と豪語していた。だが「絶対に売らない」ものを人は必ず手放す。これは古本の鉄則なのだ。

夏に開かれたオークションでこの本の最低入札値は三十万となっていた。出品目録を見て、ずいぶん高いものと驚いたものだが、私あたりはやはり全然わかっていない。というのは、あれよあれよと競り上がり、結果は百五万。同じ本の署名入の売価が四万だから原節子宛という付加価値が百一万というわけだ。原節子宛献呈署名代百壱萬円也。」(「『古本の時間』Ⅱ まるで小さな紙の器のように」初出 図書新聞連載「某月某日」一部引用者が勝手に改変。)

ふーん。

ということで、ここで 原節子の水着ブロマイド 三連。(なにがここでなのか、ちょっと何いってるか分からないが‥©サンドウィッチマン 富澤たけし

 

昨今「寄ってくんのは、サブカルチャーどまりの客ばかり」【中山信如さんの本『古本屋おやじ 観た、読んだ、書いた2002.2.6.ちくま文庫

分厚い本より、古書界で紙ものと呼ばれるチラシやポスター、ブロマイド、パンフレットあたりが高値で売買される風潮を、先の稲垣書店 中山信如さんは嘆いている。それもこれも二十年も昔のことだ。

言いたかないけど、古本の世界も映画の世界も何もかも 軽薄カルチャー化 が止まらない。いたしかたない時代なのかもしれないが‥難儀なことだ。