2ペンスの希望

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一億総映画監督 到来か

撮影所がなくなり、近未来には映画館も消滅する、
そんな予測が立ちそうな今日この頃だ。
閑古鳥が鳴く映画館とは裏腹に、映画の学校や市民映画講座、子供のための映画撮影ワークショップといった取り組みは盛んになる一方である。このままいくと、街から映画館は姿を消し、一億総映画監督時代が到来しそうな勢いだ。小学生映画監督も誕生すれば、超後期高齢者ディレクターも続々出現することだろう。そうなれば同時的に、五千二百万ホームシアター化が進行する。現在ある映画館は、デジタル化に伴って、スポーツ中継やコンサート・ライブから演劇・演芸など、多様なデジタル・コンテンツを楽しむ場所に様変わりする。別に映画でなくったって、客さえ入れば何でもOK、それが資本の論理というものだ。映画の出る幕は間違いなく変わる。映画は、自分たち一人一人でつくるものであり、各家庭のリビング・ホームシアターでは、大量のホームムービー、無数の個人映画が連日連夜上映(視聴?)されるようになっていく‥‥。
これが夢のような光景なのか、新しい悪夢の出現なのかは分からない。
ただ、そうなった時、古典的フィルム作品は置き去りにされ、忘れられて見向きもされなくなる。そんな恐れが無きにしも非ずだ。皆作るのに忙しくて、昔の映画を見るヒマがない。そんな傾向はもう始まっている
しかしである。裾野は膨らんだが、山の高さはむしろ低くなってしまった、というのでは情けない。裾野が大きく拡がったのならその分、山の頂はさらに高く聳え立っていて欲しい、切にそう願う。でなければ、寂しすぎる。もっともそう考えるのも、昔の映画好きロートルの感傷、余計なお世話か。懐古趣味ではなく、先達が残した資産から学べるものがまだまだ沢山ある。心からそう思う。