2ペンスの希望

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商業映画

商業映画という言葉もとんと聞かなくなった。もはや映画は、商業として成立しなくなっている、ということなのかもしれない。最近はどんな映画もおしなべて「作品(!)」と呼ばれているようだ。役者さんの記者会見や舞台挨拶などでも、「この作品に参加できて‥(光栄、有り難い、嬉しいなど)」という判で押したような受け答えが目立つ。所詮役者なんて売り物買い物、通り一遍の受け答え、お約束のワンパターンワンフレーズ、クチパクの操り人形。そんなに目くじら立てて、神経質にならなくても、といわれればそりゃそうだろうけど、「作品」に「参加」って‥あんた、も少し気が利いた台詞は吐けないの‥と言いたくもなる。立派な商業映画じゃないの、最後は、必ず、決まり文句の「‥‥楽しんで下さい。そして是非周りの人に薦めて下さい」って‥。客寄せパンダという役割はハッキリしているのだから、それこそ役者の腕の見せどころじゃないの。ウイットに富んで印象に残るコメントには殆ど出会わない。皆、大人しすぎて大人じゃない。
監督さんも監督さんだ。「この映画に込めた意味は、‥‥」「一人でも多くの人々にメッセージが届けば‥‥」といかにも饒舌だ。なぜ黙って「映画を見て下さい」とだけいって引っ込まないのだろうか。腕はハンチクでも弁が立つ監督が重宝される時代は不幸だ。
確かに、小学生の夏休み工作だって「作品」、ピカソの一枚だって「作品」。嘘じゃなかろう。間違いはない。けど、大違いなのは誰の目にも明らかだろうに。それとももはや、雲泥の差、味噌もクソも区別がつかなくなってるのだろうか。我他彼此が見えなくなって、ガタピシしていても、恥ずかしくないのだろうか。売り物・買い物それでいいじゃないか。ブツで勝負。ならブツブツ言うなよ。