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大津さん

大津幸四郎さんというキャメラマンが居る。知る人ぞ知るドキュメンタリーキャメラマンだ。小川紳介三里塚シリーズ、土本典昭水俣シリーズでキャメラを廻してきた79歳、今も現役だ。
彼のインタビュー記事がすこぶる面白かった。メルマガ「ドキュメンタリーカルチャーの越境空間“neoneo”ニュース【2013年8月1日31号】ご自身も小川プロで活動した伏屋博雄さんが書かれた編集後記、これが出色だった。
「小川プロ」という命名の顛末、離脱の理由、編集者・伊勢長之助の影響による小川と土本の対極的な編集法、などなど、実作者ならではのコメント・真摯な心情(身上・信条・真情)吐露が刺激的だ。
かなり長いが、引用する。

さて今回のインタビューで、わたし(=伏屋博雄さん:引用者註)がもっとも興味を持ったのは、後半の
小川紳介と大津幸四郎」の個所である。ここでneoneo編集室の金子遊の、
三里塚の夏』を最後に小川紳介から離脱した理由を問う質問に対し、
大津さんは次のように応えている。

小川紳介が「小川プロ」という固定した製作集団をつくったことですよね。
監督の名前をつけることに僕はかなり反対しました。小川個人の作品ではなく、
登場している反対同盟の人たちの作品であり、支援した人や参加したスタッ
フの作品でもある。これは集団的な活動でもあるのだと。それから、小川個人
が段々と天皇のようになってきました。天皇制に反対するグループが、自分
たちのなかに天皇を作ってはいけないと思ったのです。それが表向きの理由です。

この大津さんの言葉は、組織作りをするうえで、大事なポイントだと思う。
組織は永続性を願い、次から次へとバトンを受け渡していこうとする気持ちを
秘めているものだと思う。個人名を冠にした集団名はその個人に全てが収斂する
きらいがある。わたし(伏屋)が小川プロのスタッフになったのは1968年春。小川プロが
発足して数カ月が過ぎていた。当時、命名の由来を先輩のスタッフに聞いたところ、
「小川を男にしたかった」との返事で、違和感を持った記憶があるが、時は過ぎ、
名称は小川が永眠するまで変わることはなかった。

さらに大津さんは離脱の内的な理由として、次の点を挙げている。これは今回
大津さんが始めて吐露する言葉である。

小川紳介三里塚をシリーズにすると言っていました。(略)僕としては
三里塚の夏』に勝る作品をつくる自信がなかったんです。やればできたかも
しれないし、前へ進めたかもしれないが、自分でも怖かった。『三里塚の夏』の
次に下らない作品を撮りたくなかったし、シリーズで質を維持するための力量と
エネルギーは途方もないものだと思えた。

次に金子は、小川紳介監督の演出について質問する。大津さんは岩波映画時代の
編集者・伊勢長之助の影響を挙げ、土本典昭と小川の受容の違いを語っていく。

土本典昭さんは岩波映画の時代から、編集マンのイセチョウこと伊勢長之助の
テンポの良い編集を学んでいました。きちっと調べ上げた上で、緩急をきかせた
編集で事実を知らせるところが特徴です。(略)それに比べて、小川紳介という
監督は「三里塚の冬」あたりから長回しを自分のスタイルにしていきますが、
細かい編集にはこだわらないところがありました。土本さんは登場人物の人間性
浮き彫りにすることには熱心だったが、民俗的なところへ没頭していくような
芸当はできませんでしたね。反対に小川紳介は技巧的なことに無頓着で、映画を
そつなくうまく作ろうとしなかった。その根っこには若い頃にPR映画の世界で
苦労して、大胆にPR映画におけるオーソドックスな映画作法を壊そうとしたとき
の考えをずっと引きずっています。

一般的には、土本典昭小川紳介のドキュメンタリーの方法論は同一の性格を持つと
考えられている。対象に対する揺るぎない関係性を基に撮影をすること、さらに
長期間撮影等である。
しかし、両者には編集術において決定的な違いがあった。それは例えば、学生運動
題材にする作品、土本の『パルチザン前史』と小川の『圧殺の森』を比べれば、自ず
から受ける印象は違ってくる。前者の流れるような編集に対し、後者のゴツゴツと
したぶつかり合うような肌触り。それは彼らの編集のルーツ、伊勢長之助の編集術に
対する受容に正反対と言えるほどの差異があると言えよう。実際、土本は「とっぷり
伊勢さんの編集に浸かっていました」と著書「ドキュメンタリーの海へ」で告白して
いるし、一方、小川は現場に行かない伊勢に対し、助手時代から懐疑的だった。現場
のスタッフが嗅ぎ取った感触を剥ぎ取られることは我慢ができなかった。伊勢の「リ
ズミカルな非常にテンポのいいモンタージュ、そして整合性」を重視する方法を嫌っ
たのである(「映画を穫る」所収「私論戦後日本ドキュメンタリー映画史」より)。
今回は引用が多いが、それだけ大津幸四郎さんのインタビューから触発されることが
あったからである。ぜひ、全長版をご一読いただきたい。
今のドキュメンタリーは意識する、しないに拘わらず、土本・小川両者のいずれかの
編集術を引き継いでいると思うのである。

大津幸四郎さんのインタビューの全文は、下記で読める。
http://webneo.org/archives/10276
時間のあるときにでも読みに行って欲しい。
大津さんとは、
東京で仕事をしていた頃、何度かご一緒したことがある。
穏やかなお人柄だったが、優しさと鋭さが同居した眼差しが印象的だった。