2ペンスの希望

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枝葉より根幹

物語そのものではなく、その物語に付随する様々なデータベース・その構成要素を消費の対象として受容する」ことを「データベース消費」というのだそうだ。
お恥ずかしい。不勉強で知らなかった。若い世代に人気の思想家・東浩紀さんが2001年の著書で命名した有名な言葉らしい。【講談社現代新書動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』】
確かに。
物語のあちこちに埋め込まれた細部が、求心的にドラマを盛り立てていくのではなく、個々バラバラ恣意的に投入されるだけで、本線そのものはグダグダ(或いはガタガタ)。そんなケースが目に付く。たちが悪いのは、こうした単なる思いつき・ディテールを逸早く見つけ出し指摘することが映画理解であり、高踏的な教養であり、ご立派で正しいことのように持て囃される風潮だ。コンテクストを共有している仲間内だけで流通する符牒、狭い領域に異常に詳しい専門家、そんなものにどれほどの意味があるというのだ。やってはいけないとは云わない。どんなふうに物語を消費しようと各自の勝手だ。
しかしである。木を見て森を見ず。隠れキャラの発見にうつつを抜かすヒマがあったら、物語の骨格そのものを睨み付ける眼力を鍛えたらどうだろうか。
枝葉末節にかまけている間に根幹を見据える「想像力」が衰弱するのなら情けない。
見えない停滞が続いている。