2ペンスの希望

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「小説なんか誰にだって書けるんだが‥‥」つづき

藤谷治『こうして書いていく』引用シリーズ(=ラクチン手抜きバージョン)
三つ目のつづき 「小説なんか誰にだって書けるんだが‥‥」から。
つまり、できるだけ小さなイメージなり文章から始めるのである。ほかのことは一切
スタートラインに立たせない。「テーマ」もなければ「キャラクター」もない、「私のいいたいこと」なども全然なしに始める。あるのはイメージ、または文章だけ。そこからどれくらい広げていけるかに力の限りをつくすのだ。
イメージも文章も、どんなものでもいい。犬がいるというイメージでもいいし、花が咲いているでもいい。イメージを作ったら、それについて書けるだけ書いていく。どんな犬なのか。オスかメスか。何才くらいか。毛の色は。尻尾は。その犬はどこにいるのか。誰かに飼われているのか、それとも野犬か。飼っているのはどんな人間か。なぜ野犬なのか。そうやって犬という最初のイメージを「動機」として展開させていけば、たちどころに(というわけではないにせよ)小説はできていく。
」 と書き、 小説家らしく、
私としてはイメージよりも、文章を動機にするのがいいような気がする。」と書く。更に、「小説を作っていくのは、一人でトンネルを掘っていくようなものである。」と続くのだが、ここは端折って(だって余り刺激的ではないのだ)、最終段落の一部を紹介する。
‥‥開通式が終われば、読者が通り抜ける。トンネルを掘るのは何年もかかる重労働だが、通り抜けるのはあっという間だ。そしてこのトンネルは暗いとか、グネグネしすぎているとか、逆にあっさり抜けられすぎてつまらんとかいわれる。こっちが勝手に掘った
トンネルだから、社会の交通が便利になるわけでもないし、流通にもさして役に立たない。誰からも感謝されない。それでいい。役に立とうとか感謝されようとて、始めた仕事ではないのだから。そして次のトンネルを掘りに、別の場所に向かっていく。私の場合は、いくばくかの金になるのが、ありがたい。