『ドミトリーともきんす』のあとがきで、高野文子さんは自然科学の本は、「乾いた涼しい風が吹いてくる読書なのです」と書いた。 例を挙げてみる。
「自然は曲線を創り人間は直線を創る。往復の車中から窓外の景色をぼんやり眺めていると、不意にこんな言葉が頭に浮かぶ。遠近の丘陵の輪郭、草木の枝の一本一本、葉の一枚一枚の末に至るまで、無数の線や面が錯綜しているが、その中に一つとして真直な線や完全に平らな面はない。これに反して田園は直線を持って区画され、その間に点綴されている人家の屋根、壁等の全てが直線と平面とを基調とした図形である。
自然界になぜ曲線ばかりが現れるか。その理由は簡単である。特別の理由なくして、偶然に直線が実現される確率は、その他の一般の曲線が実現される確率に比して無限に小さいからである。しからば人間は何故に直線を選ぶか。それが最も簡単な規則に従うという意味において、取扱いに最も便利だからである。」(太字は引用者) 【湯川秀樹「自然と人間」1940年執筆 初出誌不明?
岩波書店『湯川秀樹著作集1 学問について』所収】
もうひとつ高野さんの本から孫引き。
「詩と科学遠いようで近い。
近いようで遠い。
どうして遠いと思うのか。
科学はきびしい先生のようだ。
いいかげんな返事はできない。
こみいった実験をたんねんにやらねばならぬ。
むつかしい数学も勉強しなければならぬ。
詩はやさしいおかあさんだ。
どんなかってなことをいっても、たいていは聞いてくださる。
詩の世界にはどんな美しい花でもある。
どんなにおいしいくだものでもある。
しかしなんだか近いようにも思われる。どうしてだろうか。
出発点が同じだからだ。どちらも自然を見ること聞くことからはじまる。
バラの花の香をかぎ、その美しさをたたえる気持ちと、
花の形状をしらべようという気持ちのあいだには、大きなへだたりはない。」
【「詩と科学―子どもたちのために」1946年12月「随筆四季」初出
岩波書店『湯川秀樹著作集6 読書と思索』所収】
寺田寅彦の「映画芸術」にもこんなくだりがあった。
「映画は芸術と科学との結婚によって生まれた麒麟児(きりんじ)である。」
【1932年(昭和7年)8月「日本文学」初出】