2ペンスの希望

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撮影所の力

機会があって、この一週間 撮影所が健在だった頃の日本映画を立て続けに観た。
恥ずかしながらいずれも初見。
一本目は、1949小津安二郎『晩春』(松竹)。一緒に観た年若い友人の話では「世界の映画人がこぞってリスペクトする小津の中でもとりわけ人気の高い一本」とのことだ。
二本目は、1972加藤泰『昭和おんな博徒』(東映)。スタッフのお一人・担当された美術監督さんと観た。根強い人気を持つ加藤泰映画だが、残念ながらソフト化されずDVD等も出ていないためあまり知られず、ファンの間でも評価が分かれる一本だ。
最後三本目は、1983相米慎二『魚影の群れ』(松竹)。お子様(主演)映画三本のあとの四作目、初めて撮った大人(主演)映画である。
いずれも見事だった。
無駄なく簡潔にしてふくよか、映画的リズム・躍動感あふれる仕上がりに唸った。
改めて撮影所の力・エネルギーを感じる。
とはいえ、小津映画は、上り調子・撮影所絶好調時代の産物、加藤映画は陰りが見えはじめ凋落・坂道を転がり落ち始める直前の量産品、相米映画は縮小につぐ縮小で青息吐息かろうじて職人スタッフ=マンパワーのみが残っていた時代の撮影所映画である。それでもすべて、
緩急自在の団体総力戦。スタッフキャスト総動員の複合生産品。隅々まで手を抜かず、細かな部分にまで意を凝らした彼らの技と知恵が省力・省エネを育て、その果てに生み出した省略の美学の極み。贅肉が落ちて引き締まった肉体の輝き‥‥日本の映画はいい線いっていた。