2ペンスの希望

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自転車操業

映画の興行は通常三か月以上前にはプログラムが確定しているるのが常態だ。何十本かの映画をそれも日替わりで上映するという「特集」型の名画座は大変だ。一昨日からの内藤篤日記本の続き。  以下、一部要約も交えて‥
「権利元が多数社に散らばる特集というのは、まことに始末が悪い。」上映許諾に手間と時間がかかるし、客寄せに投入するトークゲストも決まらないとスケジュール告知も出来ず、チラシも刷れない。日々ひやひやの綱渡り・自転車操業の様子が綴られる。自転車は漕ぐのをやめたら倒れる。他力は当てにできない。自力だけがたよりだ。ただ漕ぐ限り少しずつでも前には進む。ただただそれを信じてペダルを踏み続けるしかない。
無事に許諾を得ても、上映プリントが見当たらず、やむを得ずDVD上映を覚悟する事態も起きる。大手映画製作配給会社全盛の時代は良かった。原版とプリントの保管管理は安定していた。それが80年代以降辺りから怪しくなってきた。リスク分散相乗り製作委員会方式やインディペンデント・自主制作映画の場合、原版・プリント素材の保管・管理がおろそかお粗末になってしまった。物理的な場所も要る。コストも馬鹿にならない。製作母体が、経験もノウハウも関心もない寄り合い所帯の場合、数年も経って責任者・担当者が変わると、行方不明になるフィルムが大量発生する。という話だ。
読んでいて「オーファンフィルム」とのことを思い出した。孤児映画、みなしご映画。
そもそもは、「パブリックドメインにある無声映画」の発掘と救済を目指して、アメリカで
始まった活動らしいが、なに歴史のはるか彼方、大昔のフィルムに限ったことじゃない。つい数十年前の日本の映画もオーファンフィルムになりつつある実態を知った。