2ペンスの希望

映画言論活動中です

岡田さんの本をテキストに1

またまたしばらく間が空いた。諸般の事情もあるのだがネタに困ってるのも一因。
昨日からNFC国立近代美術館フィルムセンター主任研究員岡田秀則さんの本『映画という《物体X》』【立東舎 2016.9.23.刊】を読み始めている。 面識はない。
1968年生まれとあるので管理人より二昔ほど若い。40代の後半 脂の乗った年代だ。
岡田さんには迷惑千万な話だろうが、彼の本をテキストにしばらく書いてみたい。彼は、フィルム・アーキビスト(Film Archivist)だ。本には「フィルム・アーカイブの眼で見た映画」という副題も付いている。冒頭に「生まれたからには、すべて映画は映画である」という文章があり、「映画を作るわけでもなく、論じるわけでもなく、うら寂しい映画館の出口でこんなこと(映画には「魔」が潜む:引用者 註)を考えてしまう人間は、どうやって映画と付き合ってゆけばいいのだろう?」という一節がある。」かくして彼は「映画保存所に勤める」身となった。映画の毒が回ったということだろう。まだ読み始めたばかりだが、悪い人でもずるい人でもなさそうだ。ということで彼の言葉を引きながら、感じる異論・はみ出した感想を書く。御用とお急ぎでない向きは、しばしの伴走を願う。最初に断っておくが、岡田さんを貶めるつもりはこれっぽっちもない。同じく映画の毒が回り毒牙に掛って、作る側の端くれとして走ってきた時代遅れ気味の映画人(管理人のことです)が、岡田さんの文章に触発されながらあれこれ考え感じたよしなしごとを綴るという趣向だ。
1)
先に挙げた文章の中に、「つまらない映画を作りたいと思う人はいない。現場の誰もが、この映画を面白いものにしようと精魂を傾けたはずだ。それでも映画は、全員がベストを尽くしたからといって必ず良い方向に進むとは限らない。」というくだりがある。
後段はさて措き、前段には引っかかる。。
あまり大きな声では言えないが、集団作業の中、すべてのスタッフが毎度精魂傾けているとは限らない。気が乗らない時も早く終わればいいなと思うこともある。残念なことだが経験にのっとればそうだ。
2)
映画を「良い/悪い」から解放する
「(相模原にあるフィルムの保存庫では:引用者 註)小津映画とピンク映画のフィルムが、同じフロアで、同じ湿温度環境の中で健やかな眠りについている。作られたからには、すべては同じ条件で扱われる。これは素敵な光景だ。それまで、映画を語るとは「選ぶ」ことだと教えられてきた。あらゆる批評は「良い映画」と「悪い映画」を区別せざるを得ない。もちろんそれぞれの批評家によって言うことは違うけれども、とにかく選ぶことは避けられない。しかしアーカイブは映画を選ばない。そもそも「良いものも、良くないものも」という考え方自体が、私たちが知らず知らず身につけてしまった呪縛なのだ。
確かに。映画に貴賤はない。
岡田さんは圧倒的に正しいことを言っている。
作られたからには、すべては同じ条件で扱われる。」 夢のように「素敵な光景」だ。
ついさっき一本仕上げた若い監督さんも、オズ・クロサワ・ナルセも同じく映画監督だ。
ただし、だ。良し悪しは問わずとも、甲乙、好き嫌い、出来不出来は歴然とある。そう思ってしまう。これも呪縛だろうか。 (続きは次回)