2ペンスの希望

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「無駄の蓄積」

高崎俊夫さんという編集者がいる。
「月刊イメージフォーラム」を経てフリーの編集者になり、映画本を多数手がけてきた。
選択眼の良さから愛読してきた。基本 裏方なので、自身が語ることは少ないのだが、こんなインタビュー記事を見つけた。少し古いが引用する。
【メルマガ「INTRO」シネブック・ナウ 特別篇「映画本編集者に訊く・高崎俊夫」】
高崎「いまや、お勉強の成果みたいな、知識をふりまくような文章ばかりが跋扈しているでしょう。僕はそういう文章は生理的に駄目ですね。ハイハイ、よく知ってるね、というだけで。本当にくだらないと思う。これだけ情報があふれていれば、一夜漬けで書けちゃうし、知ったかぶりも簡単だけど、そんなのはすぐバケの皮が剥がれますよ。映画というものはもともと無駄なものなんだから、書き手もそうとう無駄な時間を蕩尽した痕跡が文章にあらわれなければ駄目なんです。無駄の蓄積があって、初めて文章に色気がただよう。
――情報が氾濫し、これまで観られなかった映画が観られるようになったことで、間違いを許さないような風潮も強まっていますね。
高崎「蓮實さんの学習院の先輩で映画の師匠だった三谷さんは「記憶違いのある名作こそが本当の名作だ」という至言を残しているんです。まさしくそのとおりで、あとからビデオでチェックしたら間違っていたとか、そんなことどうでもいいんですよ。映画というものは科学じゃないんだから、自分のなかで勝手に妄想したものであってかまわない。大学の先生がビデオで講義をして、重要なシーンでビデオを止めたりしてね。死体解剖じゃないんだから、そんなふうに映画を分析してもなんの意味もないですよ。そんな先生に教わっても、映画の楽しさなんかわかりっこない。映画は妄想だし、映画館はもともと<悪場所>なんだから。僕はアカデミックに映画を語ることに興味はないし、根本的に間違っていると思う。映画の危うさ、アブノーマルなものを匂わせてくれる文章が僕は好きだし、編集者として、そういう書き手をこそ紹介していきたいですね。  それから面白い文章を書く人は、どこか歪んでいるし、偏っている。たとえば、双葉十三郎さんは膨大な知識があるし、文章も達者で、バランスがいいけれど、僕なんかは<健康>過ぎて、あまり面白いとは思わない。やっぱり淀川さんみたいに歪みがないと駄目なんですよ。
全文を読んでみようという方は ⇒ http://intro.ne.jp/contents/2010/01/13_1122.html へ どうぞ。