2ペンスの希望

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「血の一滴」

ここ数年で定期購読している紙の雑誌はゼロになった。
そんな中、WEB上でほぼ欠かさず読んでいるのが、日経ビジネスオンライン小田嶋隆のコラム「ア・ピース・オブ・警句 〜世間に転がる意味不明」だ。
その最新号=2017/6/9配信「データは人生であり、墓碑銘である」
読みたてのほやほや。小田嶋さんが書いているのは、役所PCデータ消去の暴挙問題なのだが、失われつつある映画の原版、アーカイブスにも連なる一文なので、少しだけ
メモっておく。
  ↓ 以下の青字緑字文章は小田嶋さんコラムからの引用。一部改ざん
「データの一滴は血の一滴」
この格言を教えてくれたのは、1980年代の半ば頃、若いプログラマだった。

「ソフトウェア、あんなものはどうにでもなります。特に市販のアプリだの言語だのは壊れたり消えたりしたところで、しょせん、最終的にはカネを出せば買えます。オペレーティングシステムも、ハードウェアも、周辺機器もたかが道具です。どんなにひどいことが起こったのだとしても、とにかくカネさえ出せばどうにでもなります。でも、自分で書いたコードやテキストは一度消してしまったら絶対に復活しません。何億円積んでも戻って来ません。だからデータは何重にもバックアップをとって厳重に保管しておかないとダメなんです。フロッピー代をケチるヤツは本当のバカです。人間のクズです」
 と、彼は、アタマがスパークしている時のプログラマに特有な早口でまくしたてたものだった。
 ハードウェアの破損は、買い直すことで乗り越えることができる。しかしながら、データの喪失は、言葉の真の意味で死を意味している。それほどに痛い。
 私自身、この30年ほどの間に、ハードディスクがまるごとおシャカになった事故を2度ほど経験しているし、OSのアップデートの手順をしくじって大切なデータを消してしてしまったことも2度や3度ではない。まことに、データほど尊いものはない。データは、自分自身が生きてきた証でもあれば、私という人間の魂の反映でもある。
 その意味ではわが子と同じだ。
 フロッピーディスク時代から様々なメディアに書き記し、転記し、溜めこみ、何代ものマシンを経由して集約された原稿データは、二度と帰ってこない磁気の藻屑になった。

映画の保存も同様の危機を孕んでいる。
フィルム原版もしかりだが、過度的コピーメディアであるVHSテープでしか市販されておらず今となっては見ることの難しい日本映画が膨大に存在している。DVD、Blu-rayでは売れ筋のタイトルしか発売されなくなってしまったからだ。世の中には、唯一VHSでしか広く見られない映画が山ほど転がっていることを忘れたくない。
「データの一滴は血の一滴」 【或るプログラマ
「記憶は例外なく物質の中に保存される」 【岡田秀則
という言葉も、ある。