2ペンスの希望

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需要あればこその

需要があればこその細分・専業化
先日読んだ本で印象に残った言葉だ。
【出典は 土田昇著『時間と刃物 職人と手道具との対話』2015年1月芸術新聞社 刊】
本文では、「細分・専業化が品質の安定と価格の低下を約束する」と続いて、
道具鍛冶職の近代化その変遷・感慨が綴られるのだが、今日は別の話。
かなり前からだが、後輩の演出家と会うとボヤくことボヤくこと。
最近の仕事は何でもかんでも全部やらされる。編集もテロップ入れも全部自分でやらなければいけない。それでもってギャラは同じか下がっている。分業・単能工の時代は終わって、複合多機能工化している。そうでなければ喰っていけないこの世知辛さ。
確かのその通りだろう。
機材の軽便化・低価格化もあるのだろうが‥、
TVの仕事をしているディレクターも嘆いている。
ロケ取材でディレクターが小型カメラを回すのはもはや常識・常態化。キャメラマンも照明さんも音声マンもつかないケースが珍しくない。当たり前になった。
これでは出来上がるものは痩せていくばかりだろう。
体力があった時代、景気が良かった時代、余裕があった時代、アバウトだった時代、
エエ加減だった時代、‥‥そんな昭和は遠くなった。
需要があればこその細分・専業化が(限定領域のプロフェッショナルを育て)品質の安定を支えたのは本当の話。だとするなら、今は、需要なき複合多機能化の時代。
二十世紀=分業の世紀から二十一世紀=統合の時代へ。
価格の低下・低位安定だけが実現し、需要なき自主制作「作品」がはびこりあふれ、
品質の不安定ばかりが進む。 ぃやな渡世だなぁ。©座頭市