このところ思うところを忘れないうちに‥(ところどころあちこち脱線するが、そこんところヨロシク)
映画を筆頭に芸術芸能娯楽などの表現文化領域では、作り手(書き手)の精進・努力より、受け手の力能・感受(受感)こそが重大に問われる時代に入って来たんじゃなかろうか、そんな思いが浮かぶ。
映画に限ってのことだが、マシンの進化・デジタル技術によって作ることが容易くなってきたことは確かだ。がその一方、歴史を重ねてきた分、あらゆることは先達によってやりつくされてしまった、そんな思いも募る。「作り易くなったけれど 作り難くなった」という閉塞感・袋小路化がぬぐえない。作家の逼塞・立ち往生。翻って、観客は自由で元気だ。(ただの空元気かもしれないが‥)
作り手(作家・監督)の時代から、受け手(観客・読者)の時代へ。主導権が移りつつある。過度期?
根拠は幾つも浮かぶ。
「答えは一つじゃないし」「選ぶのは受け手だし」「物質として残らないと誰も見られないし、何も残らないし」‥‥。
意思・意志・遺志より、石。墓や碑が最強の記録・記憶メディアであることを改めて思う日々‥。
【この項つづく】