2ペンスの希望

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「敷居が高くてもいい」

字游工房の書体設計士・鳥海修さんについては何度か書いてきた。その新刊書『本をつくる 書体設計、活版印刷、手製本職人が手でつくる谷川俊太郎詩集』を読んだ。【2019年2月 河出書房新社

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「ここ数年、いわゆる「文字ブーム」と言われています。‥こうした状況をどう見ていますか?」という質問に、鳥海さんはこう応えている。

「敷居が高くてもいい」というと語弊があるかもしれませんが、僕は、書体というのはある程度特別なものであっていいと思っています。数十年前までは、学校の文集にしろ、地域の新聞にしろ、自分の名前が活字になることはとても晴れがましい体験だったわけじゃないですか。その感覚はあっていい。今は、パソコンの中に何十種類ものフォントが予め入っていて、それを使って簡単に文字を組み、すぐにプリントアウトできます。誰もが扱えるようになると、いい書体もそうでない書体も一緒くたになって、区別がなくなってしまいます。僕は、そういう現状とは一線を引きたいと思っています。書体が身近になることには決して反対でなく、それをきちんと使い分けられるようなスキルというか、リテラシーのようなものが使い手に備わるといいと考えています。

書体⇒映画 と置き換えて読んだ。 納得共感。

もう一か所。

歌舞伎の世界には「型破り」と「形無し」という言葉があるそうです。苦労して型を覚えてからそれを破り、新しい所作をつくるのが型破り。形を覚えることをせず、自分の思い込みだけで新しい所作をするのが形無し。型破りは褒められることですが、形無しはその逆です。」 首肯同感。  

同志諸君、型破りと形無しを見分けるスキル・リテラシーが低下したら、元も子もない、台無しですぞ。