2ペンスの希望

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時代変われば‥‥ブツ変わる

ところ変わればシナ変わる。その伝で云えば、

時代変わればブツ変わる。そのことに不思議はない。

けど、新作映画の歩留まりの悪さに辟易することが続いている。

永らく親しんできた「映画」とは似ても似つかぬ「まがい品」「パッチもん」が多いて文句やため息ばかり。そう嘆いていたら、ロートルの大先輩に叱られた。いや、何、直接面識のある御仁に、ではない。小沢信男さんという老作家の本を読んで教えられた、という話。小沢信男さんがどんな人物かは適当にググって下さい。

 

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お父上が、小沢さんの小学生時代の綴り方・図画を「千枚通しで穴をあけ紐を通して」綴じこんで残して呉れたものを元にした、昭和十年「当時の小さな記録」本だ。いや、面白かった。

無駄のない文章で、当時の暮らしが活写されている。ただし、往時を懐かしむ懐古本じゃない。エラソーにウンチクを垂れる説教本でなく、平温平熱、お手本のような写生文。令和の今を生きるための指南本だ。鮮度抜群ピチピチ、齢を取ったら文章はこう書きたいものだと感心した。(足元にも及びそうにないが‥気持ちだけはそうありたい。)

で、やっと本題。時代変わればブツ変わる、の話。

二年一組オザワノブヲ君の作文を引いて、解説の一節。

まずはかなづかいから。講堂は歴史的かなづかいではカウダウ。オシヱテはオシヘテ、ユウはイフ、ソウシテはサウシテが正しい。例によって歴史的と現代と、ごちゃまぜに書いている。しみじみ現代かなづかいこそ、平易で使いやすいですなぁ。

90歳の小沢信男翁は、歴史的仮名遣いが正しいとも懐かしいとも書かない。流れに掉さして飄飄と今を生き、語るだけである。諦観ならぬ達観。歴史的仮名遣いで作られた映画だけが映画じゃない、きっと現代仮名遣いで作られる新しい映画が登場するよ、そうカリカリしなさんな、慌てることはないよ、諦めることも‥。そうたしなめられた気になった。

引用 もう一カ所。

わが家では、新橋の松竹キネマ館へ母に連れられてよく行った。当時は活動写真ともいっていた。チャップリンの「モダンタイムス」は「流線型時代」という題名で、銀座通り八丁目の銀座シネマで、兄と一緒に見た。

いいなぁ。流線型時代。ネットで当たってみたら、この邦題、あの淀川長治さんの考案だという記事を見つけた。だとしたら、そのセンス只者じゃない。抜群のコピーライティング。

この小沢本、どのページも慈愛滋養に満ちている。それでいて暑苦しくない。むさくるしくない。スッキリしている。

時代変わればブツ変わることは認めよう、それでも、ブツは磨かれ練られたもので無ければいただけませんよ。やんわりそう諭されてる気になった。年末に練達の本に出会って良かった。