2ペンスの希望

映画言論活動中です

胸にグサリ(暗闇でドッキリのもじりのつもり)

いやぁ、面目ない、ふがいない。

この前、映画と漫画は若い頃からの二大好物と書きながら、実は永らくさぼりまくってきた。とりわけ漫画はこの20年近く、新しい作家さんのものは数えるほどしか読んでいない。漫画も映画の世界同様、殆どのことはやりつくされ、未開拓地は残って居ないし、イマドキの人気漫画家諸君の線は汚いし、デッサンも崩れている、そう思ってスルーしてきた。その報いが来た。

ゴメンナサイ、武富健治先生。『鈴木先生』!十年以上前に週刊漫画アクション誌に不定期連載された長編シリーズ漫画、単行本全11巻刊行、ドラマ化(製作:テレビ東京)、劇場映画化(製作:ROBOT)もされた、知る人ぞ知る隠れた有名作(?)だった。

最寄りの図書館に全巻蔵書されていたのを借り出して次々に読んでいる。第10巻「鈴木先生の演劇指導」の章まで来た。このシークエンスは、TVドラマにも劇場映画版にも採り上げられていないみたいだが、作家としては一番描きたかった話ではなかろうか、と勝手に想像した。備忘録を兼ねて、ここに記しておく。

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秋の文化祭に向けて、中学生たちがクラスの出し物に選んだのは「演劇」。(鈴木先生が担任する2年B組が選んだのは『ひかりごけ』【原作 武田泰淳】)その練習準備初日の朝、職員室での先生たちの会話。

いよいよ今日の学活でお互い演劇の配役決めね‥がんばりましょうね」「(以前は)どのクラスも演劇希望で‥大人気プログラムだったけどね~」「演劇は準備も当日もとても大変ですからね‥」「それがたのしいのにねェ‥

と盛り上がる同僚の先生たちに、ベテランの先輩教師江本先生が水を差す。

江本「ま‥ 今や演劇なんていう表現方法が既に過去の遺物化してるってこともあるんじゃないですかね‥ そんなものに不毛な期待を最初(ハナ)から寄せない子供たちは―「死臭」に敏感なのかもしれませんな‥

あーあ 今度は江本先生のボヤキが始まっちゃったか‥

江本「‥演(や)る者自身のためだけに存在する‥ 表現手段としてはまさに死に体ですな

べ‥別に― 観る方だって楽しく観れると思いますけど !?

江本「自分の子供や友だちがよくがんばって作ったなァ」‥ そういう楽しみですか? まあそれもいいけどね‥

‥もしかして江本先生 昔 演劇やってたんですか?

江本「いやいや !!  」「私が学生の頃は当たり前に演劇がメインストリームにあって‥みんなが普通に観て―理想の実現を夢見て燃えていたんだよ‥夢は終わったがね‥」「演劇が何でもやれるなんてもはや幻想なんだ‥自己満足か さもなくば 消費されるだけ‥

鈴木「江本先生‥おっしゃりたいことは痛いほどよくわかりますが――やめましょうよ!  スタートは演(や)る生徒たち自身への教育的効果のため‥ 保護者や友人が内輪的に楽しみ 満足するため‥それでいいじゃありませんか‥

江本「鈴木先生‥それは本気で言ってるのか‥?

鈴木「「スタートは」と言いましたよ もちろん‥がんばったところで離陸も出来ないまま 消費されて終わる可能性だって いくらもあります だから大きなことは絶対に言えませんが――

 

作者:武富先生は、演劇に託して漫画のことを言いたかったんじゃないのか、と思えてきて仕方がない。

さらに、演劇⇒映画と置き換えて、読むことも出来そうだ。

演劇が漫画が映画が「死臭」を放つ「死に体」の表現方法だなんて、そんな貧血・貧弱な弱音、早計の極みは断固許さないぞ!という決意と熱気が伝わってくる。

そう思うのだが如何?

(ちなみの、遅まきながら劇場映画版『鈴木先生』をツタヤレンタルDVDで観たが‥勝負は歴然でした。)