2ペンスの希望

映画言論活動中です

窓、鏡、そして皮膚。

f:id:kobe-yama:20210227184106j:plain
今更だが、映画は世界を知る「窓」であり自分を知る「鏡」である。このことは何度か書いてきたが、最近になって、いや待てよ、それよりなにより、映画は「皮膚」でもあるんじゃないか、そんな思いが浮かぶ。
何よりかにより、映画は、頭や目や耳だけでなく全身丸ごとどっぷり浸って「肌」で感じる「何か」だ。肌が合う合わない。鳥肌が立つ。ゾクゾク、わなわな、ざわざわ、はらはら、ドキドキ、‥‥、肌が粟立ち、背筋が凍り、総毛立ち、サブいぼが浮かんで消えない、そんな経験は、映画の醍醐味の一つだろう。「なんだか凄いものに出会ってしまった」
f:id:kobe-yama:20110418171234j:plain
外を眺めたり、自分を映す「外部からの観察」を超えて、映画の内側に引きずり込まれて、映画の肌理・生理に触れたと感じる瞬間が、確かに、ある。
ecstasy [ エクスタシー 脱魂]:ウイキにはこうある。「語源はギリシャ語のέκστασις(ekstasis、エクスタシス、外に立つこと)、魂がみずからの肉体の外に出て宙をさまよう、といった意味が込められている」皮膚感覚としての映画。も少し考えてみたい。