映画の皮膚感覚・全身性の続き、「気・霊・間」について。
「気」空気、雰囲気、気配、気色、‥すべからく「き(け)」である。
「霊」はれいではなく、「ひ」と読んでいただく。オーラ(アウラ aura
「間」は、「ま」であるとともに「あわい(あはひ)」である。「ま」があらゆる芸能・芸術の肝であることはよく語られるが、「あわい」も需要だ。物と物の間、事と事の間、人と人の間を意味する。向かい合うものの「あいだ」「関係」を示す。つまりは、境界、媒介。
折口信夫や鈴木大拙の研究者・安藤礼二は「霊(ひ)は遍在する見えない力であり、気(き)は、流動する見えない力である」と語り、能楽師の安田登は「あわいはあっちとこっちをつなぐ不思議な力」だと記す。
全身で包まれ体感する「映画」には、「気」や「霊」や「間」がことさらに重要だ。真偽の間、虚実の間、本物と如何物(贋物)の間、そのたゆたい(揺蕩い/猶予い)が、映画の風味・旨み成分の一つになっていることは間違いない。張りぼてスカスカ安普請ではそうはいかない。なかなか難しい。