映画不信の戦前戦中派インテリと映画信者の団塊ジュニア蓮實チルドレン。ともにコマーシャルベースの映画に反撥し、エスタブリッシュに抵抗しながら我が道を歩むご両人の映画を巡る対談集『まだ見ぬ映画言語に向けて』、その2。
Ⅲ〈フレームの内と外〉
二人は問い続ける。「映画はフレームに限定されるか」あるいは、「世界はフレームに限定されうるか」。フレームに限定されることなく拡がっている時代や社会、その複雑輻輳した様相を、映画はどこまでどれだけ取り込めるのか、出来ないのか?をそれなりに誠実 熱心に論議して飽きない。アングルを変えれば、企画~シナリオ~撮影~編集を通して「フレーム内はすべてコントロール可能か、それとも偶然性・偶発性を招き入れることが出来るのか」という問いだ。
答えは様々ありうるが、ここでは、生前小津監督が吉田喜重にささやいたとされる言葉だけを挙げておく。岡田茉莉子との婚約の報告に吉田が病床の小津を訪ねた折のエピソードだ(業界ではつとに知られた話である)「映画はドラマだ、アクシデントではない!」
Ⅳ〈「閉じた」映画 「開いた」映画〉
二人は、 映画のフレーム内で完結している「閉じた」映画ではなく、フレームの外に拡がっている世界を感じさせる「開いた」映画を目指そうとしたようだ。
だからこそ、吉田の書くシナリオには、俳優やスタッフに先入観を与えるような細かな記述はない。「自決する」(『秋津温泉』1962)とか、「母は息子を抱擁する」(『水で書かれた物語』1965)とか、「女性が暗闇で襲われる」(『女のみずうみ』1966)と、簡単でそっけない。
かたや舩橋は、劇映画でキャリアを始めながら、いつしかドキュメンタリー映画も撮るようになる。
劇映画もドキュメンタリー映画もどちらもフィクション・作り物であることに変わりは無いのだが、ドキュメンタリーの方が外に拡がる現実世界と地続きで広がっていて、より「開いた」映画に見えやすい(錯覚されやすい)ところがあるゆえだろうか。
Ⅴ〈「誘導」と「宙吊り」〉
いつしか対話は、吉田の舩橋映画批判=エンディング・シーンを「誘導・思わせぶり」だと難じ、逆に、舩橋が吉田映画を「宙吊り」と反撃する。(⇐「ゴダールは断定の人」であり「吉田喜重は宙吊りの人」【 吉田喜重回顧上映パンフレットに舩橋が寄稿した一節 2008年 パリ ポンピドゥーセンター 2010年 東京国立近代美術館フィルムセンター】
(もっとも、これは読者である当方の勝手な理解で、インテリのお二人は至極穏やか、紳士的やりとりに終始している)噛み合ってるようで、どこかズレてる気もせぬではないが、ちょっとスリリングで目が離せない。
ということで、後は、「あしたのココロだ」(©小沢昭一)