形式は問わないが、脚本には惜しまずエネルギーを注いてもらいたい。といっても、細部まで懇切丁寧に書き込んで事細かにデコレーションせよということでは全くない。むしろ逆だ。
根をしっかり張って、幹を太らせ、枝葉末節・枝葉は出来る限り「削ぐ」のが良い。何度も何度も浚って洗って骨だけを残すべし。
その昔、小津安二郎・野田高悟組は「削ぐ」といい、成瀬巳喜男は「洗う」といった。行間・飛躍は観客が埋めてくれる。補って膨らませてくれる。不親切でも舌足らずでもない。見せないで見せる高等テクニックだ。何でもかんでも見せりゃあいいってもんじゃない。
もっともそのためには、観客の眼力涵養が肝要だ。
おんぶにだっこじゃ育つものも育たない。