2ペンスの希望

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いじわる爺さん健在

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蓮實重彦先生はホントに根性のねじれた「いじわる爺さん」だ。(間違って貰っちゃ困るが、ケナしてるんじゃないよ、褒めてるんだよ。とはいえ、いささか留保付き・取扱要注意物件ではあるけれど、ね。)本当にアホゥ と おゲイジュツがお嫌いなんですなぁ。光文社新書1107『見るレッスン 映画史特別講義 【2020.12.30. 光文社 刊】を読んで つくづく&改めて そう感じ入った。

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あとがきにまで「「新書」というものだけは書くまいと長らく思っておりました。」と書いて、あろうことか丸山真男の『日本の思想』(岩波新書、1961)の趣味の悪さをあげつらう。インタビュー形式の語り下ろしお手軽本の出版で商売しながらこの言いぐさ、並の神経・面の皮じゃあ出来ない芸当だ。

幼少のみぎりから映画は大好きなのに、エラソーにお高くとまって芸術なるものを高級品だと勘違いしている輩が大嫌いなのだろう。底意地の悪さは筋金入りだ。これだけ素直でないひねくれ者はどうしたら出来上がるのだろうか。淀川長治さんなら、「あんた、本当にいじわるね。そんなことじゃ天国は待ってくれない かも」とたしなめただろう。それでもこの本あれこれ文句を並べたり、ところどころで「異議あり」とツッコミを入れながら、面白く読んだ。

「映画は、お芸術なんかよりずっと下衆で下品、もっと野放図で野卑・雑なもの。なおかつ言うなら、お芸術など足元にも及ばない高度な産物です」とでも言いたいように感じた。以前、京都ふや町映画タウンの大森店主さんから「蓮實先生は、どこかで自分は映画の女衒だと言ってたよ」と教えて貰ったことがあったことを思い出した。この本でも「自分は客引き」だと言っている。公営ギャンブル場に立つ「予想屋」にも見えてくる。

最後に備忘録的に、蓮實テーゼを二つ。

すべてを「現在」として見ろというのがわたくしの立場です。一本の作品と実際に向かい合う瞬間はあくまで「現在」でしかなく、その「現在」をどれほど揺るがしてくれるかというのが映画の素晴らしさであり、映画の面白さであり、同時に映画の醍醐味でもあるのです。(太字強調は引用者)

映画の面白さは物語以外のところにある。「細部が見せる一瞬の色気」「存在の色気」が驚きを生む(続けてジョン・フォードほど馬を見事に撮った監督はいない。黒澤には「馬」は撮れても「馬の色気」は撮れないのです。」とまで言っている。

オマケ:勝手に画像を借用した長谷川町子先生に敬意を表して‥。

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