2ペンスの希望

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✖だらけ

今日は忘備録。

薦められて読んだ心理カウンセラー袰岩奈々( ほろいわなな)さんの本『〇のない大人 ✖だらけの子ども』【2011.3. 集英社新書に、こんなことが書いてあった。

自分がいま何を感じているか、どんなことを考えているか、というような抽象的な思考ができるようになるのは、だいたい小学三、四年生くらいからだといわれている。こうした思考は自分を客観視できることと切り離せない。そのためには、自分の内面をとらえる力が必要になる。けれどもいま、この自分の内面をとらえる力が低下しているように思えるのだ。

一方で、自らを客観視できるようになる時期は低年齢化しているのではないかとも思う。自分が人から見てどのように見えるかということに、子どもたちは早くから気づくようになっているのだ。原因のひとつは、ビデオ機器やスマホのカメラ機能などが普及して、自分を映像として物理的に客観視する機会が増えていることにあるのかもしれない。これほど頻繁に自分の姿を撮られる機会がなかった頃は、自分を第三者の目で見ることも、他者と比較して見る機会もずっと少なかった。客観的に見る自分の姿は、たとえば記念写真のように、作った笑顔や意識したポーズがほとんどだったろう。

子どもの頃から自分が人からどう見えるか意識することを頻繁に体験し、自分の外見を客観視する一方で、内面を客観視することはあまり重視されていない。子どもたちは、自分の感情や考えを人に話す機会が少ないせいで、どう感じたか、どう考えているかを話すことに慣れていない。あるいは、感じていることや自分の考えがあることに気づいていないかのようでもある。子どもたちに「どう思った(感じた)?」と感想を聞くと、反応のベスト3は「別に」「ふつう」「わからない」が圧倒的だ。」

袰岩さんには 『感じない子ども こころを扱えない大人』という前著【2001.3. 集英社新書もある。文句はない。自尊感情、自己肯定感‥いわんとするところはよく分かる。大人も子どもも、お行儀は良くなったけれど、自信をなくし内面が見えにくい人が増えていることも感じる。けど ホントかな とも思ってしまった。

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友人のキャメラマンが撮ったこの一枚を見ていると、少年の内面が空っぽだなんて とても思えない。ことばにならない思いがいっぱい詰まっている。それを汲み取り引き出していくのは、いつだって「大人」の仕事だ。もっと言うなら、大人のプロの仕事だろう。