2ペンスの希望

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a girl and a gun

ネットを漁ると、「拳銃と女さえいれば映画は撮れる」と言ったのは仏 J.L.ゴダールだという記事が幾つも出てくる。当のゴダール氏はそもそもそう言ったのは米 D.W.グリフィスだと主張しているという記述もある。

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all you need to make a movie is a girl and a gun.  「映画とは女と銃のことである」(「映画に必要なのは女と銃だけだ」)

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拳銃は、男性のメタファーだとか、いやキャメラのことだとか、もともとは、仏 ゴダールが伊 ロッセリーニの『イタリア旅行』を評して言った"男と女と一台の車とカメラがあれば映画ができる”というのが始まりだ、1991年カンヌ国際映画祭でのゴダールの発言が元だ、とかとか 賑やかだ。

どうであっても構わない。さしたる差は無かろう。映画を作ろうという初発の動機はシンプルなもの、ほぼほぼそういうことだろう。出発点は大層なものじゃない。さほど複雑なものでも、高尚なものでもない、撮ってみたいチャーミングな女性がいて、ちょっとしたキッカケ・条件があれば映画は動き出す。そこから始まるものだ。

それがいつしか一世紀を過ぎ、映画はどんどん複雑化・高度化し高級化して現在に至っている。振り返れば、沢山の峰が連なる山脈が並び、綺羅星の如き星座が満天に拡がる。だが、近くの麓に目をやれば、不必要な複雑化ばかりが目につく、目にあまる。無意味で不必要で有害にしか思えないデコレーションが目立つ。

ここらで 原点回帰、始原のワクワク、ドキドキに戻ってみてはどうだろうか。(白黒無声映画もその一つかも‥)

もっとも先日、個人映画を作りたいという若者と話をしていて驚いた。「一人で作るんじゃなくて、気の合う周りの人とスクラムを組んでみたらどうだい」と言いかけたら、「スクラムって何ですか?ラグビー用語ですか?」と返された。「いやいや、隊列を整えるためにデモで腕を組むことだよ」と説明したら「デモって何ですか?新製品の実演のことですか?」と問われてしまった。もはや スクラムもデモも通じないご時勢 ?!  なんとまぁ~。