2ペンスの希望

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けもの道 つづく

映画は名の知れた映画会社が作るものとは限らない。

木村プロダクション・木村元保さんは「1934年 東京墨田区生まれの鉄工所のオヤジさん」で「"特撮の木村"の異名で知られた関東の自主製作映画マニア」であり、「大映 (東京?)撮影所で三年撮影助手をしていたこともあった」人物だ。(この項の一連は、木全公彦さんの『映画の國』コラムの丸写し・コピペ・無断引用。ゴメン

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ドラマクラブ製作映画 木村元保 主演作

1976『大地の子守歌』1979『曽根崎心中』1981『泥の河』と立て続けに映画を作っている。(ここも木全稿 参照)

 

現役では、キノフィルムズの木下直哉さん(1965生)という方もいる。

住宅・医療・介護・教育・スポーツ育成など幅広い事業を展開する木下グループを率いる総帥だ。映画の製作や配給を手掛けている。福岡・立川・横浜MMに映画館も経営する。ググれば結構沢山の自社製作映画が出てくる。

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 東京には、映画関連図書の出版で知られるワイズ出版岡田博さん(1949生)なども知られる。1995『無頼平野』から2017『なりゆきな魂』まで9本を手掛けてきた。

"赤信号みんなで渡れば怖くない"リスク分担相乗り方式「製作委員会」とは別の道を歩くイッポンドッコ(一本独鈷)管理人が知らぬだけできっともっと沢山の方々が居られるはずだ。

京都には、志摩敏樹さん(1962生)がいる。本業は建設機械のレンタル業だが1999年にシマフィルムを立ち上げ、1999『風花』2002『ぼくんち』2003『ニワトリはハダシだ』2004『17歳の風景/少年は何を見たのか』『おそいひと』2005『かぞくのひけつ』と作り続け、2007年からは福知山・舞鶴の映画館を引き継ぎ、京都市内に『出町座』をオープン、左前になった『京都シネマ』を引き受けながら、今も若手の映画や音楽家のドキュメンタリーなどを数多くリリースしている。

大阪生まれの秋田光彦さん(1955生)は、浄土宗大蓮寺住職、應典院代表、1980『狂い咲きサンダーロード』プロデューサー。今も若い映画世代を応援しているようだ。

何かと話題の絶えないアップリンク浅井隆さんなんかも加えても良いかもしれない。が、秋田さんも含め、ちょっと毛色が違う気もするのでやめておく。おっと、最後にもう一人、

三上康雄さん(1958生)東大阪で装飾建材業を営む傍ら2012年劇場用映画製作会社を設立、2013『蠢動-しゅんどう-』2019『武蔵-むさし-』。共に時代劇。一本は拝見。端正で丹精だった。


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いずれにしろ‥‥

スポットライトの当たる表通りにだけ映画があるのではないことは憶えておきたい。どんなところにも陰もあれば闇もある。彼らも含めて映画の世界は拡がってきた。

ただ けもの道 裏街道なんて云うのは失礼千万だろう。映画の女神に見込まれた面々と呼ぶべきかも。もっとも「見込まれた」というより「睨まれた・付け込まれた」というほうが当たりかもしれないが‥。諸事万端 行く末に幸あれと願う。