昨日の続き。
文藝春秋編『大アンケートによる日本映画ベスト150』【1989年6月 文春文庫ビジュアル版】「たったひとりで、ベスト100選出に挑戦する!」と題した故井上ひさしの顛末。
目次にはこうある。「自他共に許す映画マニアが、艱難辛苦の果てに選び出した101本とは何か? 全作品コメント付き」
井上ひさし(作家 53歳)
「編集部から舞い込んだ「あなたの日本映画ベストテンは?」という問いに「十本だけとは残酷だ。『赤西蠣太』も『馬』も『にごりえ』も、みんな落ちてしまう。せめて百本選ばせてくれたらなあ」と書いて投函したのが、運の盡(つ)きであった。編集部から折り返し、「どうぞ百本お選びください」という返事がきたのである。
小躍りして喜んだのは束の間、それからの四ケ月は地獄だった。キネマ旬報のバックナンバーを机上に積み上げ、
「これは観た、これは観逃した」
と基礎工事に二ヶ月。それから、
「これはどうしてもベスト100にいれなくちゃ」
と拾い出すのに一ヶ月かかった。そして気がつくと、ベスト100に入れるべき映画が二百五十本以上もあるのであった。
「X本だけ選べというのは酷だ。コレも落ちるし、アレも落ちる」
と不平を申し立てるのは根本的にまちがっていることに気付いたのである。十本えらべば十一本目が気になる。百本選べば百一本目に申し訳ないと思う。たとえ、千本選ぶ自由を与えられても、千一本目が気の毒で仕方がなくなる。何千本選ぼうと気が休まらない。これがこの地獄の正体なのだ。‥(中略)‥やはり大人しく十本だけ挙げて。アレも、入れたかった、これも加えるべきだったとぼやき呟いているのが、この種の催しに処する唯一の、そして正しい態度なのである。」
同感。共感。 好感。痛感。
敢えて、井上ひさしの選んだ第一位は書かない。
最後の第百一位も内緒。そのつもりだったが、
あまりにも非道なので、アンケート回答用紙の複写を挙げる。⇓
中央に並ぶ映画の数々、好きな男優のはみ出し書き込みも微笑ましい。かくてこうして、約束通り101本すべてにコメントを附している。
ちなみに昨日の一文「やはり映画に順番をつけてはいけない、とつくづく後悔している。」は、第81位成瀬巳喜男『稲妻』のコメント。「そのころ(高校三年)、母親との距離のとり方に悩んでいた小生は、それ稲妻に打たれたようになった。ベストワンかツーにあげてもいいような作品。」と書いたそのあとに続く。
「艱難辛苦」としながら、井上ひさしはどこか楽しげ。好きな映画の話をするときのウキウキ感が伝わってきて頬がゆるむ。
回答を寄せた372人の中には、マンガ家つげ義春(51歳)や ソニー社長(当時)大賀典雄(57歳) 住友信託銀行社長(当時)櫻井修(60歳)の名もある。機会があれば、是非一読を。(アマゾンの古本で安価に入手できるみたい)