2ペンスの希望

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寄席か?(寄席化? 寄席可?)  

 

昨日「配信」についての雑感を書いた。なかに西川美和さんの『スクリーンが待っている』こんな一節を引いた。

新しくやって来る時代がまた終わりを迎えるころ、映画館はまだ生き残っているのだろうか。

今日は、百年後の映画館がどうなっているのか、夢想してみる。

もっとも、百年後には西川監督も当管理人も居ないので、責任は一切持たない。持てない。加えて、興行資本による「シネコン」がどうなってるかは埒外。関心なし。もっぱら独立自営のミニシアター「映画館」に限った妄想だ。

結論はコレ。

映画館は寄席のようになる。その昔、江戸から明治大正にかけて、東京や上方の町内には百を優に超える町内寄席があったそうだ。( ⇐ 詳しくは 永嶺重敏さんの労作『明治の一発屋芸人たち 珍芸四天王と民衆世界』【2020年12月 勉誠出版 刊】をどうぞ)近代化と共に一時 絶滅しかけ、今は小規模な「市民寄席」「町内寄席」として息を吹き返した。映画館の未来も、そうなるんじゃなかろうかと夢想する。

全国津々浦々、世界中のそこかしこに、ご近所の友人・知人が集まって、配信された「映画」を楽しむ。かつてどこの町内にもあった「銭湯」のように、無数の多様な「映画」が、「読書会」か「ホームパーティ」のように持てはやされ盛んになるのでは‥‥と思っている。

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明治初期の寄席風景

もっとも、そのためには、現行著作権の扱いもビジネスのしくみも、無断上映ご法度の禁止事項もなにもかも様変わりしていなければならない。はるかかなた、近未来ならぬ遠未来の無責任暴走以外じゃないのだが‥さてはて。荒唐無稽か 誇大妄想か。

映画は一人で観るんだが、皆で楽しむもんじゃないか、映画について語り合う快感、身体的体験性、没入没我、and so on