2ペンスの希望

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主導権 遷移

 映画に限らず、あらゆる表現物の主導権は、作り手から受け手に移ってしまったようだ。かつての映画は、情報誌をたよりにマーキングして、映画館に出掛けて行かなければ見られなかった。上映時間に合わせて駆けつけて身をゆだね、全くの受け身で体感・享受するしかなかった。今の若い衆には嘘みたいな昔話だろう。

配信サブスクで選び放題・見放題。細切れ視聴もながら視聴もお気に召すまま。どうぞご随意に、早送り、巻き戻し、一時停止、繰り返し、やりたい放題。

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そんな時代がもうずっと前から始まっている。受け手は神様、ってか。

作り手にとっては、とってもキツイ話だ。

数年まえにこんなブログ記事を書いた。

作者≦観客 - 2ペンスの希望

時間が赦すなら、全文読んでもらいたいところだが、かいつまんで言うと

 作り手(作家・監督)の時代から、受け手(観客・読者)の時代へ。「作り易くなったけれど 作り難くなった」という閉塞感・袋小路化の中で作家たちは逼塞・立ち往生してる一方、観客たちはますます自由で元気になりつつある。

作り手(書き手)の精進・努力より、受け手の力能・感受(受感)こそが重大に問われる時代に入って来たんじゃなかろうか。

 その前には、こんなのも書いている。

需要あればこその - 2ペンスの希望

需要なき複合多機能化の時代。
二十世紀=分業の世紀から二十一世紀=統合の時代へ。
価格の低下・低位安定だけが実現し、需要なき自主制作「作品」があふれ、品質の不安定ばかりが進む。

 シンドイ時代が始まっている。

 

インターネットで『アジアンドキュメンタリーズ』という配信プラットフォームを手掛ける伴野 智は或るインタビューでこう答えている。

Q:配信のデメリットは感じますか?

伴野:デメリットは早回しで見る人が増えたことです。早回しで見るのは、僕らからしたらありえない。

Q:ドキュメンタリーに限らず、ドラマでも映画でも早回しで観る人がいると聞きます。「時間もったいないから内容だけ知りたい」ということなんでしょうね。

伴野:それは単に「あらすじを知るだけ」ということですよね。作品がただただ消費されている。演出もなにもあったもんじゃない。特にドキュメンタリーはずっとカメラを回して定点で見せて、そこに監督の意図があったりするので。早回しだと大事なところが見えていないということになるわけです。そういうことが起こってしまうのは非常に残念だと感じています。

東日本大震災のボランティアをきっかけに東北に移り住み映画を撮る小森はるか監督はこう発言している。

小森:一人でとか、ネットでどこでもという形で観てほしいとはあまり思わないんですよね。映画館でも集会所でもいいんですけど、誰かと一緒に最初から最後まで観てもらうのが理想です。『息の跡』はDVDにしていただきましたが、その際にネット上でも配信するか検討し、自分はなかなか踏み切れないところがありました。その違いを明確には説明できないんですけど。

【両インタビューともに 月刊雑誌『シナリオ』2021年7月号 日本シナリオ作家協会 発行 より引用】

 

生々流転、有為転変は世の習い‥どこまで続くぬかるみぞ。

けど、泣き言は言うまい。突破口を拓くしかない。

【この項 続く】