2ペンスの希望

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万人の私有 

ここしばらく「詩は万人の私有」というフレーズが頭から離れない。田村隆一の第二詩集『言葉のない世界』【1962 昭森社 刊】の中にあることばだ。

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半世紀以上も前、一人の詩人が東京郊外に出来た新しい遊園地を訪れ、よほど激越したのか、一篇の詩を書いた。

 

西武園所感 ある日ぼくは多摩湖の遊園地に行った

君がもし
詩を書きたいなら ペンキ塗りの西武園をたたきつぶしてから書きたまえ
詩で 家を建てようと思うな 子供に玩具を買ってやろうと思うな 血統書づきのライカ犬を飼おうと思うな 諸国の人心にやすらぎをあたえようと思うな 詩で人間造りができると思うな
詩で 独占と戦おうと思うな
詩が防衛の手段であると思うな
が攻撃の武器であると思うな
なぜなら
詩は万人の私有
詩は万人の血と汗のもの 個人の血のリズム
万人が個人の労働で実現しようとしているもの
詩は十月の午後
詩は一本の草 一つの石
詩は家
詩は子供の玩具
詩は 表現を変えるなら 人間の魂 名づけがたい物質 必敗の歴史なのだ
いかなる条件
いかなる時と場合といえども
詩は手段とはならぬ
君 間違えるな   【一連 省略 二連を全文引用 太字強調は原文のまま】

 

詩は「何ものでもなく、同時に何ものでもあり」さらに、「万人が(それぞれに)私有するもの」なのだとする田村の主張はやわじゃない。その憤怒は揺るぎない。今も 胸を打つ。

「詩」を「映画」に置き換えて噛み締めてみたくなる。

詩集の最後に置かれた詩「言葉のない世界」最終の二行はこうだ。

 

ウイスキーを水でわるように

言葉を意味でわるわけにはいかない  【太字強調は 引用者】