2ペンスの希望

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続 「現代」における映画 その成立条件

二日連チャンで映画館に行った。神戸・元町にある66席のミニシアター。

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開館10周年を記念してゆかりの映画監督が作った短編8本を並べた映画を観てきた。


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小田香さん(1987年生)、野原位さん(1983年生)、草野なつか(1985年生)の短編が印象に残った。そして、二つのことを思った。

商業映画と個人映画(作家の映画・自主映画・非商業映画・実験映画・プライベートフィルム・ビデオアート・ホームムーヴィ・小型映画‥etc. 呼称は様々あろう お任せする)、かつては映画館でかかる映画とかからない映画は別物、截然と分かれていた。棲み分けハッキリしていた。その差が崩れどんどん近づいているようだ。混淆・渾沌・混濁・混乱‥(呼称は様々あろう お任せする)相互乗り入れ・相互嵌入がすすんでいる

悪いこととは思わない。接近戦・戦国時代の群雄割拠となれば、頼もしいし楽しみでもある。

ミニシアターが地元の興行組合の縛りをどの程度受けているのかは知らないが、きっともっと自由気まま、野放図になっていくのだろう。街の美術館・ギャラリー・アートスペース・小劇場空間・パーティ・集会場‥(呼称は様々あろう お任せする)

〈映像〉に加えて、或いは〈映像〉以上に、〈音〉の比重が増しているのを感じた。人の声・台詞・SE・ノイズ、そして勿論 音楽も‥。濱口竜介さんも少し前にこんなことを言っている。「声の持つ情報量ってすごいものだなと実感するんです。その人の体調や気分が声によってわかる。週刊文春2021.8.12.19夏の特大号 月永理絵インタビュー】永くラジオ・パーソナリティを務めていた永六輔さんが昔こんなことを言っていたことを思い出す。「目はだませますがね、耳はだませません。

このでんでいくと、ミニシアターは、昭和時代日本のあちこちにあった音楽喫茶・名曲喫茶・ジャズ喫茶のような存在になっていくのかもしれない。(例によって、不用意 無責任 いい加減な予感・予言だが、なあにそんな先まで生きちゃあいないんだから、知ったこっちゃねぇ。)