2ペンスの希望

映画言論活動中です

すわ映画と本

1996年の長編デビュー作『2/デュオ』から1999年『M/OTHER』2000年『H story』2009年『ユキとニナ』そして最新作2020年『風の電話』まで、諏訪敦彦監督の映画を立て続けに観た。ちょっと前には本『誰も 必る「」要としていない かもしれない、映画の可能性の ために』【2020年1月16日 フィルムアート社 刊】も読んだ。

f:id:kobe-yama:20210909181323j:plain

25年の間に長編7本という数は多作ではない。一本一本丁寧に作ろうとしてきたんだろうことはうかがえる。個々の評価は控える。ただ、生涯をかけて映画と向き合い「映画とは何か」を考え続けてきた監督の「誠実」は十分に伝わってくる。善悪や正邪、好き嫌いを超えた「映画の倫理」とでもいえばよいだろうか。

それにしてもジャン・リュック・ゴダールの功罪の大きさ・深さをあらためて感じた。「何でもありだよ、自由だぜ」という囁きの裏で、同時に生まれる「何故、何故、何故、‥‥と問い続けねばすまない無間地獄」 ゴダール以降を生きる映画人が多かれ少なかれ感染を免れない このJLGの呪縛ウイルス。諏訪監督もまたその感染者の一人のようだ。(貶めているわけじゃやない。褒めているわけでもないが‥。他人事で云うんでもない、諏訪監督より一回り程年長の管理人も同病人だからだ。)

ひょっとしたら、「JLG?誰それ?ゴダールなんて知らないよ!」そんな世代が登場したとき、初めて新しい映画の世紀が始まるのかもしれない。諏訪映画を観て本を読んでそんなことを想ってしまった。