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都築響一さんをパクリ

御贔屓ライター兼エディター都築響一さんについては、幾度となく採り上げてきた。最新記事をタダ読みした。紀伊国屋書店出版部発行のfree magazine “scripta ”summer 2021「ROADSIDE DIARIES 移動締切日」 連載第26回 2021年7月1日発行 。この春 島根県立石見美術館を皮切りにその後東京六本木の国立新美術館で開催の〈ファッション・イン・ジャパン1945-2020 流行と社会〉の記事がとても刺激的で印象に残った。そこで、都築さんの文章を「パクリ」いただきながら、「映画について思うところ」を書いてみる。

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都築さんはこう紹介している。

この展覧会は、「流行と社会」とサブタイトルにあるとおり、日本ファッション・デザインの通史ではない。ファッションがいかに社会と結びつき、影響しあって生まれ消えていったかを、服そのものに語らせるという、デザイン史にとどまらない「服による社会史」だ。]

アートとは「鑑賞するもの」だけど、ファッションという「身につけるもの」はもしかしたら僕らの記憶にずっと深く、長く食い込んでいるのかもしれない。「学ぶもの」であるアートとちがって、「着るもの」であるファッションは、ひとそれぞれの時代感覚――何歳で、どの時代にファッションに目覚めたか――でずいぶんちがって感じられるはずだ。【太字強調は引用者】

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音楽が時代と不可分に生まれ変わってきたように、ファッションもまたコンセプトよりもむしろ皮膚感覚で、時代と密接な関係を結んできたのだ。

その通り。映画もまた ファッションや音楽とともに、皮膚感覚で時代を呼吸してきた。「鑑賞するもの」「学ぶもの」というよりもむしろ皮膚感覚で「着るもの」「身に着けるもの」だった筈だ。都築さんはこう続ける。

世界中のどこでも同じタイミングで同じ服が買える、史上初めての時代に僕らはいる。現代とは、トレンドを失った時代だ。かつてはたとえばロック、パンク、ニューウェイヴといった、そのときどきでだれもが聴いたり、聴かないとダサイとされたトレンドがあった。でもいまはむしろ一種類の音楽ばかりよりも、あらゆるタイプや時代の音楽を自分流にミックスしたプレイリストのほうがオシャレと認定されたりする。

トレンドの終末‥‥ 多様化の果ての個別化!

そういう時代に「とにかく安くてそこそこの品質」を求めるのでもなく、「とにかく高いし高く見える」ものを求めるのでもない、ちゃんとしたものづくりを志向するデザイナーやブランドが最終の展示室に集められている。彼らが希求するのはもはや最先端の流行でもトレンドでもなくて、新しい考え方だったり、意識や倫理観だったりする。それぞれ個別の。

だからそこにはもう、パリだのロンドンだの東京だのという「流行の震源地」すら必要とされない。中心や核心を失い、小さなかたまりが世界中に拡散し、それぞれがゆるく結びあうように。

確かにそうだ。映画はハリウッドで作られるだけじゃない。カンヌやベルリンで(‥その他もろもろ有象無象の映画祭‥国際歴史級からご当地新参まで含む)で評価される映画にだけ注目が集まるわけでもなくなった。

トレンドの終末‥‥ 多様化の果ての個別化!キツイ時代だが、一方で、ワクワクもする。ただ、猫も杓子も映画祭、一年三百六十五日毎日世界中どこかで映画祭というのも‥何だかなぁ。

多様化の果ての個別化!が、多様化の果ての画一化?にならぬことを切に祈る。(この項 続ける)