2ペンスの希望

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不埒な映画 映画の不埒

映画はいつ頃から「学ぶもの」「鑑賞するもの」になったのだろうか。

一世紀をとうに超え、少なからぬ蓄積ですでに十分芸術文化アートの仲間入りを果たした映画だが、思い返せば、スタートはおどろおどろした見世物興行だった。品行方正、お行儀のよい優等生は、みだりやたらに近寄ってはいけない悪場所のたぐい、不良の溜まり場・はみ出し者半端者の出入りする世界だった。時代と社会の迷子の慰安所でもあった。一時はブルーフィルム、ピンク映画、アングラ=アンダーグラウンド映画が隆盛を極めていた。

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不逞の輩がたむろする不穏な非衛生空間。嘘じゃない。管理人が十代二十代の頃はやくざ映画全盛期、映画館から出て行く時は、皆、健さんの如く肩を怒らせていたものだ。都築響一さんじゃないが、映画も「着るもの」「身にまとうもの」だった。衛生的な健全娯楽になったのはどこら辺りからだろうか‥論証抜き・偏見丸出しでいうなら、小便臭い映画館が場末から姿を消し、都心や郊外のショッピングセンターにシネコンが登場した頃が、潮目だったように思う。

不逞、不徳、不始末、不謹慎、不道徳、不都合、不品行、不心得、不届き、不埒、‥映画にはそんな言葉がよく似合う。そう思う。

今一度、猥雑極まりない不埒な映画、映画の不埒の復権を願うのは、望むべくもない時代錯誤なのだろうか‥。ただし、自分勝手・自己満足の自慰行為、思い出作り・半完成品の横行跋扈なんてのは御免蒙る。

美しき不埒にこそ 出会いたい。