2ペンスの希望

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ゴール

「機材の安価軽便高機能化と通信の普及浸透日常化で映画は作り易くなった一方、作り難くなった」「日本の映画は液状化が進んでいる」

これが当ブログの基本認識だ。開始以来ずっとそう主張してきた。

2012年1月のブログスタートから足かけ十年 、映画はキツイ時代、ムズカシイ時代に突入してもがいている。

ただ、「昔はよかった、凄かった。俺たちの時代は‥‥」そんな懐古談・自慢話は極力避けてきたつもりだ。けど、トーンはおおむね悲観的だったかもしれない。残念ながら、基本認識は今も変わらない。が、そう悲観的でばかりはいられない、最近そう思うようになった。(老化のせい、性急鈍化のなれの果て=残り時間が少なくなって、感受性がゆるくなったゆえかも知れないけれど。)

映画は死なない新しい映画が生まれることは間違いない、まだまだたっぷり時間がかかりそうだし、そのための条件も並大抵ならず容易ではなさそうだが。作られ方も、流通頒布の方法も、受容のスタイルもきっと全く様変わりすることだろうが。これだけシンドイ時代、ヤッカイナ時代が続く中にも、ごくごくわずかだが新しい地平を拓く映画が生まれ(ホントにごくごく稀、それも大半 外国の映画なのは残念だけれど‥)、映画に出会い魅せられる十代二十代三十代の若い世代が登場してくることを頼もしく思い描き期待したい。ロートルの希望的観測に過ぎなくとも。)

「映画は終わった、映画は死んだ」なんてほざくのは外野・評論家の無責任なタワゴトだ。彼らには何ひとつ見えていない。

物が作られるのはいつも制作の現場だ。すべてはそこにあるのだ。さらに加えるなら、答えやゴールはひとつじゃない。見えないが無数無限にあるのだ。いやそもそもゴールなんて無いのかも。

人間が映画というものを手にし魅惑された限り、歴史は続く。どれだけ困難で遠い道のりだろうと、自分の脚と腕と頭と腹を鍛えながら前に進めばいい。及ばすながら、応援は惜しまない。

(今日は、えらく情緒的 詠嘆的になってしまったが‥まぁ、こんな日もあるものだ。)

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