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鈴木志郎康

鈴木志郎康という映画人がいる。詩人としてのほうが有名かもしれない。1975年に『日没の印象』という映画を作った。幾つかの美術系大学で教えながら、詩を書き、個人映画を作り続けてきた。

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わたしが自分の映像表現ということをはっきりと意識したのは、1975年に『日没の印象』を作ったときだった。当時わたしはNHKに勤めていて16ミリフィルムのカメラマンとして番組製作に携わっていたが、同時に個人的には詩を書いていて、社会的に詩を書く人間として認められるようになっていた。そして、映像でも詩を書くのと同じように個人的に表現がしたいと思うようになっていた。当時、アメリカの実験映画・個人映画の制作・上映活動の中心的な人物の一人であり、リトアニアから米国に亡命して、映像で表現活動を行っていたジョナス・メカスの作品『リトアニアへの旅の追憶』が東京で公開されたのを見て、彼の「映画はハートビートだ」という映像に対する考え方に強く影響された。

『日没の印象』は、その自分の映像に対する思いと、1930年代に作られた古いコダック製のカメラとの出会いを切っ掛けに作られ、自分の日常生活の中で映像表現の実現の可能性を見つけた作品なのだった。作品の中で、古い革張りのカメラを手に入れた喜び、生まれて数ヶ月の子どもと妻を撮る喜び、そして詩を書くように映像作品が作れるようになった喜びを語った。この最初の作品で、わたしは映画をシステムに依らずに個人の日常生活の中で制作するということを、方法として自覚した。映像は自分の日常生活を対象にして、ナレーションは自分で自分の考えを語るというわたしの映像表現の基本は、マスメディアとは違った映像表現の領域を拓き、そこで個人と個人との触れ合いによって、互いに生きていることを共有していこうという考え方の実践と云える。【「多摩美術大学研究紀要」第20号2005年掲載より引用】

『日没の印象』は、「セルフ・ドキュメンタリーの先駆的作品」と称揚されるが、そんな大げさな評価は似合わない。もっと愛らしい小文字の映画だ。昔からあった「小型映画」「ホーム・ムービー」「プライベート・フィルム」「個人映画」「日記映画」それ以上ではない。だから駄目というわけじゃない。『日没の印象』は、ラジカルで静かな映画だ。とても良く出来ている。穏やかで微笑ましい。さりながら、今となってはいささか古めかしい。初々しいが「幼稚」、そう言って悪ければ「牧歌的」である。

それにしても、凄い時代になったものだ。

半世紀前につくられた映画が、ネットにUPされ ⇒ 

日没の印象 / Impression of Sunset on Vimeo 

若い人に人気の映画サイトに多数のコメントが寄せられる。⇒ 

日没の印象 - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ | Filmarks映画