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森達也『私的邦画論』から その2

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Newsweek 日本版 2021.09.08 号「ドキュメンタリーとフィクションは全く違う」

黒木和雄監督に初めて会ったのは2002年。東京のミニシアターであるBOX東中野(現在はポレポレ東中野)で、『竜馬暗殺』上映後に行われたトークショーだった。黒木以外に是枝裕和庵野秀明緒方明などと月一でトークしていたこの催しは、その後に『森達也の夜の映画学校』とのタイトルで書籍化された。ちなみにその仕掛け人は、今年『きみが死んだあとで』を発表した代島治彦監督だ。

岩波映画製作所に就職した黒木は、20代の頃にはPR映画を撮り続けていた。僕は逆に20代は劇映画に浸っていた。つまり(こっちはまだまだチンピラだが)キャリアはほぼ真逆。劇映画とドキュメンタリーの差異について質問する僕に、黒木は以下のように答えた。「森さんの期待をちょっと裏切ることになりますけれども、ドキュメンタリーとフィクションは全く違いますね。(中略)フィクションは本当にないものを全くでっち上げますけど、ドキュメンタリーはあるものをどうでっち上げるかというね、決定的な違いですね」

このとき僕は黒木に食い下がった。でっち上げるという意味で後半の作業はほぼ同じではないのかと。しかし黒木はにべもない。否定され続けて落ち込む僕に、黒木は最後にこう言った。「(前略)ドキュメンタリーとフィクションの価値をあまりに同じにすることによってその境界線が曖昧になって、フィクションもドキュメンタリーも衰弱するっていうことが逆にあるんですね、補強するんじゃなくて。最近、その危険を僕自身と、幾多の若い監督に感じまして。だから、フィクションとドキュメンタリーは違うんだと、取りあえずは言い続けたいと。根っこは全く同じなんですがね」要するに僕は大ベテランにクギを刺されたわけだ。(太字強調は引用者)