花房観音の『京都に女王と呼ばれる作家がいた』【2020.07.26. 西日本出版社 刊】を読んだ。売れっ子でもなく人気もない、吹けば飛ぶような立場のいち作家である私(=花房観音)が、大物ベストセラー作家(=山村美紗)の「タブー」にふれて書いた本だ。本筋とは別にこんな一節があった。
何より、「本が売れない」という現実を、本を出す度につきつけられる。出せば出すほどに、「売れない」世界で生き残っていく術も見えず、気持ちが鬱々とする。
もう紙の本は売れないし、出版社も頼りにならないから、これからは電子で自分で本を出す時代でしょ――そう言ってくる人たちも周りにいる。
実際に、出版社を通さず、自分で電子書籍で本を出す方向に切り替えている作家も、少なくない。
紙の本は終わりだ。
確かにそうかもそれない。けれど、私は自分が紙の本を糧に生きてきたので、装幀を含め、編集者、営業など、多くの人たちとの共同作業である「本」、そしてそれが書店に並び、書店員の手で
売られていくという世界が好きで、執着があった。
小説を書き、編集者との間で試行錯誤し、校閲校正とのやり取り、デザイナー、装画家により彩られ印刷して形になり、出版社の営業の手や取次を経て本が書店に並ぶ。そこから、書店員により、読者の手に渡る。
本を出す度に、私ひとりの手によるものではないことを実感する。出版社、書店があってこそ、本は多くに読まれる。
子どもの頃から、書店は本が好きな人間にとって、様々な世界と出会える、夢の場所だった。
けれどもう、それは古い考えなのだと言う人もいる。自分だけで作り、自分だけで売れるのだから、出版社も書店もいらない。あなたも自分で電子書籍で売ればいいのにと、すすめてくれる人は絶えない。
紙の本は終わりなのか、出版社も書店も終わりなのか。‥(中略)‥
今は当時と違い、メールがあるため、編集者と編集者と頻繁に会うこともなく、短編やエッセイの仕事なら、編集者と一度も顔を合わさずともいうこともあるし、それについて不満もなく、酒の席を共にするより合理的だとも思う。
けれど、その関係が希薄になり、ついには「出版社はいらない」と作家が言い出すのは、ものすごく抵抗があった。
今の時代の流れの中で、逆らえないことなのかもしれないけれど、それでも受け入れがたい。「古い」と言われようとも、やはり本を作るのは共同作業で、紙の本で書店に並ぶことが一番の喜びだった。
映画の世界もよそ事じゃない。身につまされる話だ。