淀川長治さんが資生堂の福原義春さんと対談した『僕は映画の伝道師』という本がある。【「サクセスフルエイジング対談」シリーズ 1997.7.11. 求龍堂 刊】
なかにこんなくだりがある。「映画の番頭さんみたいなつもり。映画の伝道師、それから映画の奴隷、そんなつもりで今日まできた」別の本では「映画の語り部」「映画の虫」とも語っている。
淀川さんは自他ともに認める稀代の「映画布教活動家」だった。宣導(先導 煽動 )者、教唆犯、幇助犯、旗振り役、呼び込み、案内人、露払い、音頭取り、たいこ持ち(幇間)、ちょうちん持ち、お先棒担ぎ、客引き、ポン引き、‥‥。
「私は映画の女衒です。」かの蓮實重彦センセもどこかでこう言っていると聞いたことがある。
今なら、さしずめインフルエンサー、黒服キャッチといったところか。それにしても時代なのだろう。小粒・局所感がぬぐえない。もはや万人向け・誰もが知っているなんてのは望むべくもない。それでも「種まく人」が映画の絶対条件・映画にとっての必要条件であることに変わりはない。