2ペンスの希望

映画言論活動中です

『歩く、見る、待つ』ペドロ・コスタ

ペドロ・コスタの『歩く、見る、待つ』【2018.5.25.ソリレス書店 刊】を読んでいる。

f:id:kobe-yama:20211128210426j:plain

2004~2010年にかけて日本の映画美学校東京造形大学などで行った特別講義を書き起こした本だ。残念ながらコスタの映画は未見。だが、真摯な姿勢は伝わってくる。

映画を学ぶ学生を前に「現実の生を濃密なものとして、より良くするために作品を撮り続けた」とコスタが考える三人として「ジョン・フォードロベール・ブレッソン小津安二郎」を挙げ、「それぞれ非常に保守的・反動的であると同時に革命的な手法で、世界の別の在り方を示してくれている」と語りかける。

映画というメディアはとうの昔に死んでいると唱える人もいますが、私に言わせれば映画はまだまだ先史時代にあるようなものです。目の前の世界の〈現実〉〈歴史〉というものが、手垢のつかない状態で残されているのではないでしょうか。(太字強調は引用者)

テクニックやアイディア、イメージから生まれてくる意図や作意(作為)より、目の前にある〈現実〉と向き合い格闘するという作業こそが重要

いちいち 得心。なにも難しいことをいってるわけではない。けど、けっして簡単なことではない。

本の題名「歩く、見る、待つ」は、

もし教壇に立って年間を通して講義を展開するなら、どんな内容に?」という学生の質問に答えた言葉に由来する。

動く」ということをたくさんしたいと思います。実際皆さんにいろいろなところを訪問してもらう。例えば田舎に行く、動物園にキリンを見に行く、あるいは小津の映画を観に行く、そして帰ってくるのです。じっさいに動いてもらいたいと思います。「動く」ことには、歩く、見る、そして待つ、という三つの行為が含まれることになります。(中略) 一見すると、動いているようには思われないかもしれませんが、「待つ」ことも運動の持続のなかに位置づけられるでしょう。小さなグループで話しをしている場所があり、そこから誰かが出かけていく一方で、また別の新しい誰かが入ってくる、そのようなイメージです。何かが動き始めることにまなざしを注ぎ、他人の話にじっと耳を傾けることによって、新しい思考が生まれてくるのです。皆さんがいろいろなものを訪ねて歩いていく、その運動に私は伴走したい、一緒に走りたい、そう思っています。