『侯孝賢の映画講義』【卓伯棠 編 秋山珠子 訳 2021.11.17. みすず書房 刊】は誠実な本だった。後進に向けて自らの映画人生・映画作法を率直に語っている。
構えず、飾らず、隠さない。すっぴん、自然体。ことばで言うのは簡単だが、けっして容易なことじゃない。
ホンの中味は、「観察せよ」の一言に尽きる。
「観察して、観察して、観察して、写実から始めるのがよろしかろう」
なかに印象に残ったフレーズは幾つもある。
「深度は表面に表れ、それは潜在している、と。」(元々は、イタリアの小説家イタロ・カルヴィーノの言葉だそうだ。「深さは隠されていなければならない。どこに?表面(うわべ)に」:『カルヴィーノ アメリカ講義――新たな千年紀のための六つのメモ』米川良夫・和田忠彦訳 2011 岩波文庫)
小津安二郎の映画『東京物語』を評して「映画はとても複雑な構造なのに、見かけ上はきわめてシンプルな物語で、あらゆる思考はその奥底に潜んでいます。」
「研究やら論文やらに書かれたことはほとんど的が外れていますが、外れたなかにもそれなりの面白さはある。」
「もし直観に従って見て、つまらないと感じたなら、それで構わないのです。あなたの感覚こそが確かなものなので、映画研究をしてから見なければならない、などというようなことはありません。鑑賞力を鍛えるために何度も見直さなくては、などというようなことはありません。むしろそれではダメなのです。」
「(抽象は写実から生まれた。) ファンタジーでさえも写実に起源をもつものであり、それは、現実世界の不条理のなかから生まれた「目」であり視点なのです。ですから写実を甘く見てはならないのです。」
「そもそも、新しさとは伝統に根ざすものでしょう。」
巻末の解題で市山尚三は「「いい加減」が映画を豊かにする」と語っている。
「いい加減」もまた得難い「才能」であり、大切なことは、この「いい加減を誠実に語る」ことなのだ。