2ペンスの希望

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わたしは観たいのだ

いつ頃からだろうか、映画を観ることより研究することの方が偉い、なんて「勘違い」が蔓延し始めたのは?

わたしは観たいのだ。次にどんなことなるか知りたいのだ。この巻きこまれたい—―我を忘れたい—―という願望が批判力のさまたげになることはない。それどころか、さらにとぎすませれる。望みが高いので失望は増す。望みが高いので、喜びもまた増すのである。ポーリン・ケイル『今夜も映画で眠れない』1992.11.11. 東京書籍 刊の序文より)

終生「バッドグッドムービー(ダメな芸術映画(その独善!)ないしは 良心作(その偽善!)」より「グッドバットムービー(すてきな娯楽映画)」を支持し続けたポーリン・ケイルさんの言葉だ。同感。とりわけ最後の二文にはしびれる。

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研究・学問の対象である前に、映画はわくわくハラハラいそいそドキドキ胸ときめく官能体験なのだということを忘れてほしくない。