遅れ馳せながら、萩尾望都『一度きりの大泉の話』【2021.4.30. 河出書房新社 刊】を読んだ。
少女漫画ファンの間では有名らしい〈花の24年組〉たちの〈大泉サロン〉での出来事・顛末を萩尾望都が綴った「日記というか記録」本だ。
■〈花の24年組〉とか〈大泉サロン=女子版トキワ荘〉とかの文言は、ネットをググれば山ほど出てくる。とは言え 萩尾望都はこの本で〈花の24年組〉や〈大泉サロン〉という呼称については自身は与り知らぬことと書いている。一体いつどこでどんな行き違い・いざこざ・いさかい、ボタンの掛け違いがあったのか、そこに興味はない。勝手にやってくれ。
今回書きたいのは、こんな記述。
「作品に名前を出すというのは、作品に責任を取るということでした。貶されることもあるし、褒められることもあるでしょう。でも、自分のものなら、自分で責任を取らないといけない。
時々、漫画の講義や講演をした時、「漫画家になるのはどうしたらいいですか」と聞かれます。「作品を描いて完成したら、人に読んでもらうといい。人の意見を聞くことは大切なことです」と答えます。そして「もう一つ大切なことは、人の意見を聞かないことです」 そう言うと、大抵どよっと笑いがおきます。
そうなんです。独りよがりにならないために、人の意見を聞く。でも自分の作品の大切な部分を守るためには、人の意見は聞かない。相反することですが、双方必要です。どこまで聞くか聞かないか。自分で判断し、自分で責任を取る。これが作品に名前を出すということなのだと思います。」
当たり前のことのようだが、大事なことだ。ここには物を作る人間の最低限の「覚悟と責任」が示され、その自覚と自戒が語られている。
有名無名を問わず、物作りの必要条件その1として、忘れないでいてほしい。