2ペンスの希望

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嗜みなきは窘めて

こちトラ自腹じゃ!』の映画監督さんが後輩の映画をくそみそに言っている。

ただ陰気な恨めしい顔した男や女に3時間もつき合わされて、何の感情も湧き起こらずじまいで不可解でならなかったのはオレだけか。

楽しくも何ともない「悩みの相談室」みたいな映画研究会モノは苦笑いもできなかった。【ともに 日刊ゲンダイ2022.2.19.芸能面 】

くそみそに評することをイケナイとは言わない。むしろ、ダメだと思ったことをダメだと言うのはいいことだ。そう思ってる。とりわけ「仲良しクラブ」「褒め合い 相互扶助」だらけの昨今、歯に衣着せぬストレートな物言いは大歓迎する。けれどもなぁ~。

ほんとうを言えば映画では筋は少しも重要なものでない。人々が見ているものは実は筋でなくしてシーンであり、あるいはむしろシーンからシーンへの推移の呼吸である。この事を多くの観客は自覚しないで、そうしてただつまらない話のつながりをたどることの興味に浸っているように思っているのではあるまいか。

ん?誰の言葉かって?

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昭和5年(1930)9月、寺田寅彦さんが吉村冬彦名義で雑誌『思想』に発表した「映画時代」の一節。

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90年前のこの言葉、くだんの監督さんに差し上げておく。

たしなみなき感想文はたしなめておきたいので。

映画の歴史が進化ではなく退化の極みであることの証左の一つとして、も。