2ペンスの希望

映画言論活動中です

竹宮メモ 物語と絵

竹宮惠子の『少年の名はジルベール』を読んだ。【2016.2.1. 小学館 刊】

f:id:kobe-yama:20220405231717j:plain

1970年から72年にかけて、竹宮惠子萩尾望都増山法恵(知らずば ググッて!)らが同居し、多くの少女漫画家と卵たち、編集者、ファンが出入りした〈大泉サロン〉の見取り図が出てくる。築30年超のオンボロ二軒長屋。一階の四畳半に小さなコタツ。ここがサロン、少女たちの梁山泊だった。

f:id:kobe-yama:20220405220545j:plain

二階は南向きに竹宮の机と椅子とベッド、西向きに萩尾の座卓。萩尾の寝起きは布団だったとある。

f:id:kobe-yama:20220405220750j:plain

三人は誘い合って映画もよく観ていたようだ。「一番よく行った映画館は池袋の文芸座だった。」とある。

増山さんは「私ね、本物しか好きじゃないのよ。一流ってね、そんなにたくさんあるわけじゃないのよね。売れるものや流行りのものは、その都度いくらでも出てくるでしょう。でも一流の数は、すっごく少ない。」と語り、「脚本の優れているところはどこか、伏線の張り方や物語の構造について」などと詳しく話す。

増山さんが物語中心に映画を観るタイプだとしたら、私たち(註:竹宮や萩尾)はビジュアル中心に観ている。「考える」の前に「観る」がある感じだ。ストーリ―の面白さも絵(ビジュアル)があればこその面白さなのである。絵画であれ、映画であれ、それがどういう絵で、どういう構図で、どういう技法でそれを表現しているのかということに関心がある。

物語派と絵派。いつの時代にもある背中合わせ。両方揃わなければ何一つ始まらないことに気付くためには、それなりの時間と経験が必要ということなのだろう。

f:id:kobe-yama:20220406085446j:plain

んっ、この絵はなんだって? 一応、

鳥かご=物語=枠組み=シナリオ、

鳥=絵=語り口=演出、のつもり。両方相まって「映画」ってことで。