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あらかじめの献立と予算

四十歳の高峰秀子が「映画という戦場で出会った戦友」市川崑の記録映画『東京オリンピック』を擁護して、東京新聞に投稿したことはよく知られている。「わたしはアタマにきた【1965年3月18日 東京新聞夕刊】(知らない人はググってみて。2020TOKYOじゃないよ、1964東京だよ。)

「記録映画だから、ただ写したものを編集すればよかったのだ、前にシナリオができていたなんてそもそもヘンだ」という声もあったが、映画作家を起用する以上、作家の意思がそこに作用することはあたりまえではないか。シナリオといっても、いつ、何が飛び出すかわからないオリンピックのことだから、もちろん簡単なコンティニュイティーにすぎない。たとえば家庭の主婦が買い物かごを下げて夕食のおかずを買うために家を出るとき、あらかじめの献立と予算を立てて出かけるのと同じようなものと思えば間違いない。

シナリオ=あらかじめの献立と予算

分かりやすくって、胸のすく啖呵。いいなぁ。