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『f/22 No.3』山上徹二郎「役割としてのP」

作り手によるドキュメンタリー批評雑誌『f/22』第三号シグロの山上徹二郎プロデューサーのインタビュー記事からもう一つ。【2021.7.15. F/22製作委員会 発行 】

インタビュアーのQuestion「映画プロデューサーとはどんな仕事なのでしょうか?」に対する山上徹二郎さんのAnswer。

カメラマンとか録音とか監督と同じような意味で、プロデューサーの仕事があると思ってる。とてもクリエイティブな仕事、プロデューサーという役割を誰がやってるのかという事がすごく大事なんだよね。お金を誰が出したかということとは別。映画っていうのはどういうものか、何なのかをということをちゃんと考え詰めて行って、プロデューサーという人ではなくその役割が映画を支えているということがもう少しちゃんと分析されていけば、映画自体がもっと変わっていくだろうと思う。

映画のプロデューサーの仕事って、映画が完成したところが折り返し地点なんだよね。そこからあと半分の仕事は、その映画をどのように観客に届けていくかっていうことになるわけだよね。よく言われるように、映画ってやっぱり観客の中で完成するんだよね。観客に届けて、観客の心の中でちゃんと映画として像を結んだ時にやっと完成する。そこで映画の評価も決まるし、自分たちが作った映画がいったい何だったのかっていうことが初めてわかる。初号試写で見て自己満足的にはわかる。自分たちの映画が完成したんだって。だけど公開して人々に見られて、その中でどういう評価を受けるかというところで、思いがけない「自分の作品」に出会う、それはプロデューサーの至福だよね。

映画を創り出す人という意味でのプロデューサーの役割は、映画の企画・製作・配給・上映・二次利用まで、その全てを把握していないと務まらない。映画製作の中での監督の役割は、映画が完成するまでで、監督がプロデューサーを兼ねている場合は、その人はプロデューサーと監督という全く違う二つの仕事をしていることになる。「集団的創造性=プロデュース」が映画の面白さだし、不確定なものだからこそ、映画の可能性は開かれているんだと思いますね。