2ペンスの希望

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「一生シロウト」

備忘録。

長じて落語にハマった中野翠さんの新書『今夜も落語で眠りたい』【2006.2.20. 文藝春秋 刊】にこんなくだりがある。(余談だがこの題名 ポーリン・ケイル女史にちなんだ命名だとあとがきにある。映画好きにはたまらない。嬉しいことだ。)

親密になったというのの、まるっきり通にもマニアにもならないところが自分でもオドロキだ。まあ、それは落語に限ったことではない。映画も好きで、ずいぶん見て来たけれど、いつまでたっても「詳しい人」にはなれないのだ。なにしろ研究心とか追及心とかいうものがほとんどないので。「あー、面白かった」「あー、つまらなかった」、それだけで済ましたいほうなのだ。人生のひとときが娯楽ムードで満たされればそれでOKなのだ。

いちおう文筆業者として暮らしているので、「面白かった」「つまらなかった」だけでは済まされず、どこがどう面白かったか(つまらなかったか)という理由を書くわけだが。気持も知識も、たぶん一生シロウトですね。(新書 書下ろし「わが落語遍歴。ただしフツー。」より引用)

いえいえどうして、姐さん。立派な見者=賢者のクロウト、一級品。

こう書いて、ブログをアップしたら、かの蓮實大先生の最新著書『ショットとは何か』【2022.4.29. 講談社 刊】のあとがきに出会った。「映画は、見るものをたちどころに武装解除しにかかり、それに逆らう術は一向に見あたらない。だから、何歳になっても、映画について語ることを「職業」とすることがためらわれてなりません。映画を論じるときには、いつまでもアマチュアでいたい。そう思っているうちに、いつのまにか八十六歳になろうとしている自分には驚くしかありません。(註:太字強調は引用者)

なんとまあ、この期に及んでどのツラ下げて! 意地悪爺さんよく言うよ。その他大勢の意地悪爺さんのひとりは そう思ってしまった。(⇐間違ってもらっちゃ困る。決して怒ってるわけじゃないヨ。呆れてるのでもない。半ば同情・半ば共感。哀れを感じながら言ってるんだ。)